2010年11月10日
アーノンクール&ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第5番
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アーノンクール最新のブルックナー録音であるが、アーノンクールの円熟は疑いない。
第1楽章から、ヴィブラートを抑制したウィーン・フィルの清廉な響きの何という美しさ!
すべてのパートが透けて見えるようでいながら、ズシリとした響きの充実感も失わず、さらには、ワクワクするような愉悦感さえある。
そう、ヴァントのブルックナーになかったのは、この愉悦感かも知れない。
「第7」と違いイン・テンポで乗り切るコーダの雄大さも良い。
第2楽章、これほどベッタリと歌わない演奏も珍しい。
ことに弦で最初に奏される第2主題の斬新さは驚きだ。
まるで異次元からバロック・アンサンブルが紛れ込んだような錯覚にさえ陥る。
点描画のように重ねられていく音の断片が、ひとつの宇宙となる見事さに唖然となる。
スケルツォの愉しさが格別なのは、アーノンクールが舞曲の本質を捉えているが故であり、響きの法悦を無邪気に愉しむ心があるからだ。
フィナーレの揺るぎない構築美も、ポリフォニー音楽を知り尽くしたアーノンクールならでは。
コーダの大団円の迫力は、かつてのアーノンクールにはなかった力強さである。
「第8」での感嘆が、さらに大きなものとなった。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2020年07月09日 10:02

2. Posted by 和田 2020年07月09日 12:26
私が古楽演奏家で最も好きな指揮者はブリュッヘンであり、もしブリュッヘンが芸術家なら、アーノンクールはイデオローグに過ぎないとすら考えてしまうことをまず述べておきます。恐らくアーノンクールの音楽に小島さんが拒絶反応を示される理由の一つに、アーノンクールの方法論から来る、いろいろな刺激に慣れた現代人に、昔の人が感じたであろうショックを経験させるには、うんと誇張した表現をすべきということにあるのかもしれません。それと彼の演奏が示す最大の特徴は、まったく美しくないということです。美の化身のように見なされるモーツァルト作品ですら、彼に指揮されるとまったく美しくなくなります。彼は自著で、美しさだけが音楽にとって大事なわけではないと主張していますが、それを実践し、この演奏家が彼の人生を賭けて、彼にしかできない音楽をしてきたというのは紛れもない事実です。このような演奏家が、甘美な美を愛好するウィーンで受け入れられたのは、非常に面白い事実ですし、やはりカラヤン流に飽き足らない人たちがいるのだなと思わせます。