2010年11月04日
ハイティンク&ロンドン・フィルのベートーヴェン:交響曲全集
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きわめて普遍的な解釈に基づいた名演で、無類の安定感と堂々とした風格をそなえている。
しかも室内楽的といえるほど純度の高いアンサンブルで仕上げているため、第1番は古典主義的な表現と洗練の極致であり、ベートーヴェン演奏のひとつの規範とさえ感じられる。
第2番は第1番との作品の質的な差を反映して、はるかに強靭かつ意志的な力強さをもった演奏である。
「英雄」は格調高く毅然とした表現だが、それだけに交響的であり、ディテールも克明である。
全体に中庸といえる解釈で、あくまでも純音楽的な表現を貫いているのも好ましい。
ハイティンクのベートーヴェンには無用な誇張や表情が一切存在しない。
その演奏は極度に練り上げられ、ほとんど室内楽的といえる純度を獲得している。
第4番は全体が毅然として楽譜に忠実に表現され、決して突進しない第4楽章の音楽的な美感は特質に値する。
「運命」は無類の風格と安定感をもった表現で、まったく普遍的といえる解釈だ。
造形的にも一部の隙もなく、作品の容姿を正確に示し、この上なく充実している。
「田園」は実にあたたかい抒情に満ちた名演だ。
深々とした情感とリズムや表情の爽やかさは、数多いこの曲の演奏でも屈指のものだろう。
柔らかい雰囲気の広がりと精妙で自然な表情がぴったりと融合しており、低弦の歌の魅力とその立体的な構成の効果も抜群だ。
第1楽章の提示部反復もそれが反復ではなく、発展という印象を与えて快い。
第7番でのハイティンクの指揮はどっしりと落ち着いたもので妥当性があり堅実そのもの。
余計な表情もいっさいなく音楽が足をしっかりと踏まえ、一歩一歩立つ所を確認しながら運んで行く。
第8番は作品の優美さを前面に押し出すよりも、交響的な性格をよく表し、各楽章の構成を分析的をいえるほど精緻に表現している。
第9番で、ハイティンクはいわゆる"祝祭的"な性格を強調することなく、全体を見通しよく、あたたかく、純音楽的に表現している。
だが、同時にスケールと豊かな風格の反映があり、終楽章の彫琢も申し分ない。
楽譜の読みは深く、伝統的様式の研究の末に、自己の解釈を完成させたという趣がここにはある。
この作品のひとつの普遍的表現といえよう。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2020年07月03日 10:07

2. Posted by 和田 2020年07月03日 12:16
ハイティンクは活動初期から奇を衒わない堅実な正攻法で演奏する指揮者であったことは明らかです。そのため当初は非個性的とか、地味といった評価を受けましたが、1970年代に入って急速にその表現が熟成し、この第1回目のベートーヴェン全集でも、やはりオーソドックスながら実に味わい深い円熟した演奏を聴かせるようになりました。この全集を根本にコンセルトヘボウとの2度目、ロンドン響との3度目の全集を追っていくと、彼はまさに大器晩成型の指揮者と言えるでしょう。そのためかご指摘のように最初のベートーヴェン全集にはこれぞ究極の名演というナンバーがないのは致し方ありません。彼はレパートリーも、オペラを含めて幅広く、またこれまで幾人もの大作曲家の交響曲全集を完成していますが、それぞれの作曲家の個性を適確に表現しているあたりに、そして協奏曲での滋味豊かでスケールの大きなサポートぶりに、彼の芸風の幅広さが認められます。
ところで私は大学時代フルトヴェングラー研究会というサークルに属していたのですが、早稲田祭のレコードコンサートにナチスの軍服を着た者が現れたり、教授の中にも「フルトヴェングラーってナチスだよ」という者がいたのには呆れ果てました。そのため西洋音楽史上最大の指揮者の真価についてフルトヴェングラー鑑賞室というホームページを立ち上げました。ご一読頂ければ幸いです。
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