2011年12月01日
モントゥー&ロンドン響のチャイコフスキー:交響曲第5番(1963年ライヴ)
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モントゥーは1950年代後半に、ボストン響とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、第5番に関してはロンドン響との1963年ウィーン芸術週間のライヴ録音が音質も優れている上、モントゥーの永遠の青春性と共感しきったロンドン響の瑞々しくもコクのあるアンサンブルがまことに素晴らしい。
モントゥーの数多い名盤の中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でもムラヴィンスキーの1960年盤と並んで屈指のものといえるだろう。
モントゥーは1875年生まれであるから、このとき88歳! 死の前年とは思えない、若い生命力と力強い構成力で聴く者を圧倒する。
別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。
音も構成もどこまでも透明で淀みがなく、ロンドン響も大きな共感と献身をもって巨匠の棒に応えている。
ワルツ楽章に聴くエレガントさも、モントゥーならではのもの。
モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に、個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。
「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽を書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」
この言葉に、モントゥー芸術の核心がある。
チャイコフスキーを、ベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。
幸せなチャイコフスキーである。
ムラヴィンスキーが一直線に天に駆け上がるとき、モントゥーは多くの同胞を抱きかかえながら微笑み、レニングラード・フィルがアンサンブルを鋼鉄に鍛え上げるとき、ロンドン響は心を響き合わせる歓びを謳歌する。
どちらも、それぞれの流儀を究めており、優劣の問題ではなくなる。
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コメント一覧
1. Posted by 長尾裕 2011年12月26日 01:52

2. Posted by 和田 2011年12月26日 12:01
長尾裕さん、私も全く同意見です。
モントゥーのブラームスとチャイコフスキーは私も愛聴しています。
ボストン響とのチャイコフスキーでは、第4番も傾聴に値する名演だと思います。
またのコメントお待ちしております。
モントゥーのブラームスとチャイコフスキーは私も愛聴しています。
ボストン響とのチャイコフスキーでは、第4番も傾聴に値する名演だと思います。
またのコメントお待ちしております。