2014年02月21日
バルビローリのマーラー:交響曲第6番《悲劇的》&R.シュトラウス:メタモルフォーゼン
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この交響曲の演奏はむずかしい。
オーヴァーヒートしがちで、マクベスの科白ではないが、「無意味な叫喚と怒号」に終わりかねない。
この曲は時間の冷酷な進行への強迫観念を基本に、強気と不安、期待と絶望に揺れ、限られた時間のなかで人間はいかに生くべきかを問うている。
バルビローリはその核心に突き入っており、死の予感があってこそ、生の尊さに思い当る。
死の恐怖に負けるか、それとも生を慈しむよろこびを知るかという二者択一を前にして、つかの間でも生きる幸せ(第2楽章)を味わったものは、死を大らかな気持ちで受け入れられる。
だから終楽章の最後のとどめの一撃も、けっして無残な挫折ではなく、自己納得のひびきが聴きとれる。
なお、この演奏では、初演にしたがって、第2楽章と第3楽章が通常とは逆に配置されている。
シュトラウスはナチスの罪について恐ろしく無自覚だったそうだが、そういう事情を知ってしまうと、《メタモルフォーゼン》にこめられたという「祖国ドイツから失われゆく美への惜別」なる解釈が嘘くさくなってくる。
単なる"音の美食"ではないのか?
しかしバルビローリの演奏で聴く時だけは作曲家その人への疑念を超える普遍的な、魂の痛切な思いが突き刺さってくる。
バルビローリがこの録音を残しておいてくれたことに感謝したいと思う。
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