2011年03月17日
テンシュテットのマーラー:交響曲第6番《悲劇的》(1983年ライヴ)
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1983年、テンシュテットのもっとも愛する第6番がレコーディングされたが、このライヴ録音はそれからしばらくたって収録されたもの。
マーラーでも屈指の暗い曲想を持つこのシンフォニーで、まず筆者が重視するのは、終楽章の導入部である。
運命の動機が冒頭からフル・オーケストラで現れ、金管による鬱々としたコラールに引き継がれる。
不安定な気分をかき立てながら曲は加速し、第1主題のごうごうたるトゥッティへと突き進む。
ドロドロと渦巻く、どす黒い情念が奥底から噴き出し、鬱積した苦悩や不安が赤裸々に姿を現すさまを、これほど強烈な音楽として定着させた例は、古今でも数少ないのではないか。
だからこそ演奏は、諦念のなかにもふつふつとたぎる暗い情念を十全に描き出し、かつスリリングな展開を強烈な曲想のままに示さなければ、ウソだろう。
テンシュテット&ロンドン・フィルの聴きどころは、まさにここにある。
マーラー的な語法を自家薬籠中のものとした上で、存分のドライブ感と彫りの深い演出を聴かせ、曲をきれいごとで終わらせない。
散発的に飛びだす管の突飛なフレーズの扱いや音色、着実なテンポ設定など、彼の棒から自然と生成するリードは、そのまま巧みな設計へとつながり、最終的には強大なカタストロフィーと陶酔へ導いてくれる。
もちろん他の楽章の出来も素晴らしい。
いわゆる「マーラーの毒」をたっぷり含んだ第3楽章の底知れぬ深みは驚異的。
ロンドン・フィルも良くテンシュテットの棒に応えている。
1980年代以降、マーラー・ブームに合わせ、第6番のCDも増えた。だが、生真面目なだけでインパクトに欠ける盤や、分析的なあざとさばかりが目立つ盤などは、やっぱりペケだ。
テンシュテットの第6番には、1991年に行ったライヴ録音もあるが、演奏にほとばしる生命力の強さや端正な造形の点で、筆者は1983年のライヴ録音盤を採る。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2020年11月11日 09:12

2. Posted by 和田 2020年11月11日 11:10
3者の違いがありそうでそうありません。ただ今現在は91年盤が随一だと感じています。というのも、テンシュテットは85年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれたからです。したがって、91年の演奏には、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開しており、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れています。テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものです。これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施しています。かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれません。マーラーがこの曲を作曲したときと同じような心境に追い詰められたテンシュテットの大仰ではない、真に深い苦しみが刻印され、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価します。