2012年05月23日

フルトヴェングラーの「ワルキューレ」(SACD)


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LP時代から筆者にとってこの演奏は一つの座右の盤でもあった。

スタジオ録音ということもあり、ライヴでのフルトヴェングラーのあの凄まじい熱気は不足しているものの、最晩年の彼の悠揚迫らざる境地は伝わってくる。

指揮は個性的でいながらどこまでも普遍的、オペラティックでありながらシンフォニックである。

緊張は和らげられて、大きな瞑想が全体を覆うように包み込んで、明澄さと円熟の境地は、以前のようにドラマを激しく転回させるのではなく、ドラマを音楽の流れに完全に委ね切る方向に作用している。

全体に流れるようなそのテンポは、演技を伴わない分、凝縮へと向かうが、これが無駄を排除した簡素さの実現に寄与している。

フルトヴェングラーは、彼独特の重量感にあふれた情感で、音楽をいわば「再構成」するようないつもの方法を明らかに避けている。

必要以上に情緒を強調したり、モティーフに誇張の色づけを与えたりしていない。

逆に、率直すぎるほど率直に、雄渾なタッチで、ワーグナーの音楽自体を十二分に鳴り響かせている。

歌手陣は、彼のかかる誘導に支えられ、力強い歌いぶりをみせる。

フルトヴェングラーの棒には、オケを含めた奏者すべてに対し「どこからでも来い」と言わんばかりの稀有の懐の深さがある。

フランツのヴォータンの品格、ズートハウスのヘルデンテノール、リザネックのドラマディシズム、フリックの格調、全てがズッシリとした重みとともに今も筆者を襲う。

フルトヴェングラーのワーグナーを聴いていつも感じるのだが、歌われる言葉を大切にして、聴衆に聴こえるように、オーケストラの響きとのバランスを意識しているので、ワーグナー特有の長い語りも、室内楽でも聴いているように、いかなる音楽的退屈さとも無縁なのである。

これこそ、他のすぐれたワーグナー指揮者の演奏では、絶対に体験できないことである。

このフルトヴェングラーの最後の演奏を聴いていると、芸術家とは、あるべきヴィジョンに向かってつねに、そして最後まで進化して仕事をする存在なのだとつくづく合点してしまう。

そんな芸術家に対して、過去のある時点と比較することにどんな意味があるというのだろう。

《ワルキューレ》の最初の一音が鳴り始めたときから、フルトヴェングラーの心の底には、近づく死への予感から、「ヴォータンの惜別の歌」が、ずっと鳴り響いていたのではなかろうか。

録音は、従来盤でも1954年のスタジオ録音ということもあって、フルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質を誇ってはいたが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。

とりわけ、歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは驚異的ですらあり、フルトヴェングラーの遺言とも言うべき至高の超名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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