2011年04月16日
ルービンシュタイン/モスクワ・リサイタル1964
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米ソ雪融けに乗って、旧ソ連系アーティストの招聘で当てたマネージャー、ヒューロックの依頼で、ルービンシュタインが32年ぶりにモスクワを訪れたのは1964年。
最初は「ギャラの安さ」に驚いたものの、「あのすばらしいロシアの聴衆にもう一度会えるなら」と、最後は胸を躍らせ、訪ソしたという。
「政治的主張」は「精神性」と同じくらい、ルービンシュタインにふさわしくない事象と考えられているけれども、モスクワでのライヴに収められたショパンの選曲、演奏には、そんな先入観を転覆させるだけの迫力がある。
人生の快楽を極め、芸術の深奥に開眼した「王様」にとって、故国のポーランドや、その当時の「親玉」である旧ソ連など共産主義国家が芸術に干渉し、人間の尊厳を傷付けるような振る舞いをすることは許し難いことだったに違いない。
しかし、ルービンシュタインは演説やデモ参加ではなく、彼にとって最も有効な伝達手段=ピアノの演奏によって、深い悲しみ、激しい怒りを表現する道を選んだ。
「葬送行進曲」と、苛酷な運命を闘うポーランドの同胞への憐れみと励まし、圧政への怒りにみちた「英雄ポロネーズ」の組み合わせは、静かな抵抗の意志に貫かれている。
旧ソ連の図書・レコード公団、メロディアのスタッフによるやや硬質の録音も、ルービンシュタインの「硬派」としての貴重な表情を記録する上ではプラスに働いた。
生涯にわたり、さまざまな名演を残した「王様」ではあるが、これほど鬼気迫るリサイタルは、ごく特別な瞬間だったはずだ。
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