2011年05月04日
リパッティのバッハ:ピアノ協奏曲第1番、リスト:ピアノ協奏曲第1番、バルトーク:ピアノ協奏曲第3番
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気高さとは平民に対して貴族にそなわった属性だが、演奏でも気高さを表出することができるのだろうか……。
リパッティの誰かのレコード評にあった「貴族性表出」への、筆者の疑問であった。
さっそく彼のディスクを買い求めた。そして、脱帽した。
こうしてリパッティはハスキル、田中希代子とともに、筆者の愛するピアニストの1人となった。
これ以後も多くのピアニストの演奏に接したが、筆者の気持ちは変わらない。
ピアノは打楽器であり、だからか鍵盤を叩き付けるピアニストは多い。
そうした打鍵を、筆者は好まない。
ピアノの演奏は、手でなく、指が行う。そして、10本の指は対等の役目を担う。ひとつひとつの指の奏でる音が、はっきりと聴き取れるのだ(という錯覚を与えてくれる)。
理想を言えば、それぞれの指に、ひとつひとつ思想に裏打ちされた行動が要求されるのである。
田中もハスキルも、そしてリパッティもこの要求を満たしている。
さて、このディスクはリパッティが遺した数少ない協奏曲録音の一つで、彼が亡くなる少し前の演奏だが、死の影は全く感じられない。
リパッティのタッチは明快で弾力に富み、ひとつひとつの音が美しい余韻を残す。
それが豊かなエネルギーに結びつくとのびのびした開放感を、繊細な感情を表現する時にはみずみずしい潤いをもたらす。
テクニックも抜群だが、決してヴィルトゥオジティを指向せず、彼の解釈と一体になって演奏を支えている。
高貴で人間的な魅力に溢れた演奏は、これら3曲の最良の演奏と言えるのではないだろうか。
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