2011年06月13日
アーノンクールの「アイーダ」
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アーノンクール盤は、《アイーダ》のイメージを、そしてイタリア・オペラのイメージを覆すような画期的演奏である。
実はこのオペラで大事なのは神官ランフィス。
アーノンクールのCDでは、このランフィスをマッティ・サルミネンが歌っている。《神々の黄昏》のハーゲンを得意とする悪者声のバスだ。
《アイーダ》はまさにそのランフィスの声によって幕を開ける。
演じるのがサルミネンとあれば、否が応でも彼の存在に注目せざるをえない。
恋愛悲劇という表面の裏に冷徹なリアル・ポリティクスが存在していることをアーノンクール盤は鋭く指摘しているのだ。
この意義に比べれば、誰某がラダメスを歌った、誰のレガートがきれい、なんていう一般的オペラ談義はどうでもよい。
オーケストラの演奏もたいへん独特。弱音部分をジクジクと演奏しており、暗さや悩みを強調する。音楽が勢いに乗って軽快に離陸してしまうことを厳しく戒めている。
よって、このオペラの心理劇的側面が明瞭になる反面、イタリア・オペラならではの開放感には乏しい。
のろくて陰鬱なバレエ音楽、ラダメスが指揮官に指名される場面におけるグズグズした音楽、ちっとも嬉しそうではない合唱、盛り上がらない凱旋の場、湿気たトランペット……いくらなんでもやりすぎだと筆者ですら思う。
音楽がこれほどまでに特異になってしまった理由は、アーノンクールがすべてを音楽で表現しようとしているからだ。演出や演技なしでもわからせようとしているのだ。
そういう意味ではまさに録音向けの音楽だ。舞台でなら音楽がすべての表現を担わなくてもよいのである。
ただ、オーケストラはだいぶ欲求不満の様子だ。歌うことも騒ぐこともできないのだから。
ウィーン・フィルがこれほどウィーン・フィルらしく聞こえない録音も他にはないのではないか。
ともかく、これほどまでに実験精神のある《アイーダ》盤が他にないのは確か。一聴の価値は充分ある。
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コメント一覧
1. Posted by アイーダ基地外(ピー) 2013年02月05日 06:03

仰るとおり、ランフィスがこのオペラの要でございます。エジプトではアメン神官団を筆頭に信託を預かる僧侶が実質最高権限をもっていました。エジプトが文字通り黄金期を迎えたときこそその力が最大になったのはなんとも皮肉です。アイーダでは登場人物の年齢はあらかじめ決められており、ランフィスは40歳の国王を押しのけて堂々54歳という最高齢です。
レクイエムとの類似点にいち早く気づいたアーノンクールの盤は実はアイーダに隠された意味を発見してしまいました。それを完璧なまでの緻密なアーキテクトで描いたのですから後に続く指揮者はたまったものではありません。おそらくこれを超える盤は今後望むのは無理かもしれません。それほど「完璧な」読みです。
1-1におけるアムネリスの勝って帰れや2-2のアモナズロソロ、そして2-2の終結部、楽譜どおりでまったく遊びのポルタメントもレガートもなしという怜悧な演奏に寒気さえおぼえます。
オケは不満そうに聴こえますが、それはあくまでストイックな音作りのため。ウィーンフィルは元々アーノンクールを常任指揮者におきたいと願っているほどの人たち、実際に映像でみると眼は真剣そのものでした!でなければ今回特注した珍妙なトランペットを「ヴェローナのラッパ吹きに吹かせるから」というマエストロに、わざわざ「俺たちに吹かせろ!」とは言わないはずで(笑)まさに盛り上がりというより絶望感まっしぐらのフィナーレを聴きつつ「ああ、カンペキ」と今日もこのアイーダに思いを馳せるのです。
2. Posted by 和田 2013年02月05日 09:25
まずはアイーダ基地外(ピー)さん、長文にわたるコメントありがとうございます。
私が書いたレビューに共感していただき、また更なる解説を加えていただき、うれしく思っています。
アーノンクール盤が出現するまでは、アイーダは声の饗宴といった演奏ばかり聴かされてきましたが、さすがアーノンクール、このオペラの本質をしっかり見抜き、仰るとおり「読み」が実に深いのです。
本来なら演出家が舞台で視覚的にあつらえるものを音楽でやってしまったということです。
しかも確信犯的に。
変な先入観なしに聴くには、これほどリアルな演奏はありません。
先入観を持ちながら聴けば、この音楽のどの部分を取ってもアイーダとして聴こえません。
どちらにしても、特異な音楽体験になります。
それだけは確実です。
私が書いたレビューに共感していただき、また更なる解説を加えていただき、うれしく思っています。
アーノンクール盤が出現するまでは、アイーダは声の饗宴といった演奏ばかり聴かされてきましたが、さすがアーノンクール、このオペラの本質をしっかり見抜き、仰るとおり「読み」が実に深いのです。
本来なら演出家が舞台で視覚的にあつらえるものを音楽でやってしまったということです。
しかも確信犯的に。
変な先入観なしに聴くには、これほどリアルな演奏はありません。
先入観を持ちながら聴けば、この音楽のどの部分を取ってもアイーダとして聴こえません。
どちらにしても、特異な音楽体験になります。
それだけは確実です。