2015年02月14日
プレヴィン&ロンドン響のショスタコーヴィチ:交響曲第8番(新盤)
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プレヴィンがかつて首席指揮者を務めたロンドン響と録音したショスタコーヴィチの大作、交響曲第8番。
高性能軍団ロンドン響を駆使して、プレヴィンが壮大な音のドラマを繰り広げる。
みごとな完成度をもった演奏だ。
ショスタコーヴィチの音楽はどれを聴いても、独裁体制下でのインテリゲンチャの生き方のむずかしさを考えさせられる。
体制に迎合すると見せかけて、研ぎ澄ました牙のちらつくこともある。
隠蔽が行き過ぎて自虐的、韜晦的になることもある。
この交響曲第8番も例外ではない。
第2次世界大戦中に作曲されたこの曲は、戦争の悲惨さを訴えながら、どんな苛酷な現実のなかでも譲ることのできない芸術家の良心を滲ませている。
むしろ現実が苛酷なほど、自己の芸術を磨くチャンスになる。
プレヴィンはそれを追求してゆく作曲家の超人的な努力に同調しつつ、同時に表面からは見えにくい芸術理念を、透かし彫りのように浮かび上がらせている。
この交響曲は、当初作曲者が表明したように人生を肯定的に表現したものか、それとも、のちに作曲者が遺言したように、レクイエム、悲劇の音楽なのか。
「物語」あるいは「神話」が付随した作品だ。
プレヴィンは、とりあえずそうしたものから自由になって純粋に音楽そのものに立ち向かう。
悲劇性を押し売りすることなく、逆に、耳に聴きやすくテクスチュアを整理することもない。
特筆すべきは響きの混ぜ合わせの妙で、極小の響きの断片が微細に色合いと明暗を変えてゆく。
第4楽章は入魂の名演で、とくに後半は静かな眩暈すら呼ぶ。
戦争の恐怖や悲惨さから生まれた曲ではあるが、いたわりに満ちた音色で奏でられるアダージョを聴くとき、プレヴィンは曲の背景にこだわることなく、あくまで音楽自身がもつエネルギーを描き出そうとしている気がする。
第5楽章も圧倒的だ。
人生の否定か肯定かという「物語」を超える、音楽のみが表現できるゲミュートが聴き手を包む。
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