2011年11月09日
ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1975年来日公演)
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ムラヴィンスキーの《悲愴》は、第5番の録音の多さに比べるとはるかに少なく、意外である。
このディスクは、1975年の東京公演におけるライヴ録音で、そのためかこの演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじいものがある。
しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がなく、カラヤンの最後の来日公演盤と並び、あらゆる《悲愴》の頂点におかれるべき名演である。
もちろん、一分の隙もない厳しさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現しており、その意味では、これに匹敵する演奏はトスカニーニくらいだろうか。
全4楽章とも、これ以外は考えられないほど的確なテンポである。
デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。
そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色である。
チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。
しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づいている。
それが新鮮さの原動力といえるが、第1楽章の展開部や第3楽章のコーダは、まさにあらゆる聴き手を圧倒する。
それは音量などに依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。
生々しい臨場感のある録音も相俟って、《悲愴》といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。
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