2011年11月01日
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのブルックナー(総集編)
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敬虔なカトリックの信徒であったブルックナーの曲は全て信仰告白である。
そしてブルックナーを十八番とするチェリビダッケもまた、仏教的感性を有している。
つまり両者とも、超越的で宇宙的な境地に到達する術を心得ている訳だ。
ここに聴く、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏は、そんな法悦に至る壮絶なプロセスが刻まれている。
ここまで宇宙的な気宇壮大さのあるブルックナーは皆無だ。
一音一音極限まで研ぎ澄まされ、悠久の世界を眼前に表してくれる。
これはチェリビダッケが禅に深い造詣を示したことも影響しているのだろう。
ブルックナーの交響曲に対し、ある評論家は「仏教的な法悦すら感じる」と述べているが、それはそのままチェリビダッケの精神性にも通じると思う。
チェリビダッケの指揮は極端に遅いが、これに慣れてくると他の演奏が忙しく思えてくる。
空"emptiness"の世界に聴き手を誘うような、神秘的色彩をも感じ得る名演である。
音楽は作曲家の手を離れた瞬間から、作曲家の意図とは無関係に歩みだす。
演奏という行為によって、聴衆を失望させることもあれば、時には作曲者さえ予想もしなかった新たなる生命を見出すこともある。
このチェリビダッケの演奏は正に後者のような演奏だ。
この一般的に「遅いテンポ」から禅宗徒のチェリビダッケは天から降り注ぐ眩い神の光を現出させた。
それは意外にも極めて教会的であり、オルガン的である。
これこそ一般的なブルックナーらしくないアプローチにより最もブルックナーらしさを獲得できた数少ない名演のひとつと思う。
なお、ブルックナーの交響曲のファースト・チョイスとしては余りにも強烈な為、他の演奏を耳にしてから改めて本盤を選んでいただければ幸いである。
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