2011年12月23日
バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのバルトーク:管弦楽のための協奏曲/弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
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《オケ・コン》はバルトークの作品のなかでは、比較的おだやかで洗練されている。
これまでの徹底的に突き詰めてゆく集中力よりは、全体の空間的な広がりとバランスを重視した構想が前面に出ている。
だからバルトークの他の作品に息詰まる思いをさせられる聴き手も、この曲ではほっと一息つけるし、また逆に物足らない思いもさせられる。
バーンスタインはこうした二面性によく気づいているのだろう、この曲に欠けがちな緊張感を最大限に引き出す一方で、エンターテインメントの要素が弛緩を引き起こさぬよう気を配り、いわばサーカスの綱渡りに似たスリルに富んだ緊張と面白さで聴かせる。
それは本来作曲家自身の構想だったと思わせるほどの巧みさだ。
バーンスタインは、例えば第2楽章「対の遊び」を聴けばよくわかるが、この曲のもつコンチェルタンテ風のスタイルを相当意識して曲をまとめている。
表現は、綿密で計算がよく行き届いており、ニューヨーク・フィルの練達の楽員たちを思う存分に振りまわしている。
この演奏を聴くと、彼の魔術がいかに楽員たちに徹底しているかがよくわかる。
バーンスタインの《弦チェレ》にはバイエルン放送響を振った新盤もあり、優劣つけがたい名演だ。
新盤の方がより厳しくより深いが、旧盤の方がより豪華、より濃厚である。
表情という表情をつけられるだけつけた第2楽章など、さながら現代のメンゲルベルクといえようし、終結部のテンポの変化がなんとも物すごい迫力をよぶ。
すごいメリハリの効果、ティンパニの威力、オケの腕の冴え、色彩の燦き、まるで《オケ・コン》を聴いているような愉しさがあり、娯楽音楽となる。
雄弁なアゴーギクも比類がない。
第3楽章も舞踊音楽を思わせるし、フィナーレは後期ロマン派の世界だ。
したがって嫌う人がいても不思議ではない。
第1楽章など、ときにストコフスキー=フィラデルフィア管を彷彿とさせるのだから……。
バーンスタインの表現には抑制がまったくみられない。
個性的な表現で、すべてをぶちまけている。
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