2011年12月25日
リヒテル&ガウクのシューマン:ピアノ協奏曲
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西側にデビューする以前のリヒテルの凄さが端的に表れている歴史的名演だ。
現代においてはあまりにスッキリとした演奏のように思えるかもしれない。
イン・テンポできっちりと押し通し、表現もむしろ淡白と言っていいくらいに遊びが少ない。
しかしリヒテルの玲瓏としたピアニズムがかえって同作品を赤裸々に描き出し、的確にシューマンのロマン性を引き出し得ているのを痛感させる。
リヒテルのピアノには覇気があり、きわめて力強い。
底力ある打鍵から、堂々とした構えの音楽が生み出されているという感じだ。
それでいて、シューマンのデリケートな魅力をあますところなくカヴァーし得ており、流石である。
余分なものをすべて取り去ったようなスマートな造形、凛とした強い意志に貫かれた解釈、なにかハードボイルドを思わせるクールな演奏である。
しかし的確に曲の本質をついてゆく、強烈な求心力がこの演奏にはある。
最近は、シューマンのピアノ協奏曲を、希望に胸をふくらませ、元気いっぱいに、まるで"青年の主張"のように再現するのが流行しているようだけれど、ここに聴くリヒテルのピアノは、そのような演奏とはまるで性格を異にしている。
ここにおける彼のトーンは、決して明るいものではなく、ほの暗い。
ただひとつ、ほのかに灯ったローソクの炎をじっと見入るように、自らの心の奥深くに分け入っていき、そこにおいてシューマンの協奏曲を把握していこうとしている。
その結果、ここではときに、心の中の嵐が聴こえるようであり、心の中のモノローグが聴こえてくるようだ。
こうしたシューマンを聴くと、これこそが、と思う一瞬が確かにある。
"曲の原点に帰る"意味ではこの演奏をまず挙げたい。
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