2012年02月02日
朝比奈隆&新日本フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
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筆者は、朝比奈のチャイコフスキーが好きだ。と同時に、チャイコフスキーを振る朝比奈が好きで堪らない。それも「悲愴」がいい。何度聴いても泣かせてくれるからだ。
その感銘は、神品と謳われたブルックナー演奏にも匹敵するものがあった。
朝比奈は、晩年こそ「スコアに忠実」という禁欲的な態度をとったが、もともとは芝居気たっぷりの芸風を持つ華のある舞台人であった。
その元来の資質を誰に遠慮なく発揮できた音楽が、チャイコフスキーだったのである。
とはいえ、それがストコフスキーばりに豪華絢爛なものではなく、内面的な情感をたっぷり開陳するあたりが大きな魅力であった。
この新日本フィル盤は、晩年の演奏ゆえに、だいぶ表現が整理されてしまっているのが残念だが、それでも、朝比奈の破天荒な表現力を偲ぶには十分だ。
第1楽章提示部は恐るべき遅さで始まる。
これだけのスローテンポを支える精神力は並大抵ではないが、オーケストラの音の薄さが露呈してしまうのも致し方あるまい。
しかし、第2主題から展開部にかけて、まるでこの世のものとは思えない凄絶極まりない音が現出する。
燃える恒星を背負う巨人のような悲劇性がここにはある。
第3楽章も、スローテンポによる驚愕の演奏。
第4楽章はまさに男泣きの音楽だ。
こういう音楽になると、朝比奈の人間の大きさ、人生の豊かさが物を言う。
今思えば、演奏会場でともに泣けた聴衆は幸せ者だったと言えるだろう。
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