2012年02月04日
カラヤンのモーツァルト
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古今の指揮者の中で、誰が最もモーツァルティアンかときかれた時、筆者はためらわずに最初にカラヤンに指を屈するであろう。
特に1960年代以降の円熟したカラヤンに。
一つには彼の天性が、モーツァルトの"歌"を歌うことができることである。
指揮者のタイプの中には、リズムに秀でた人、バランス感覚にすぐれた人、統率力のある人、個性的な音楽を作る人など、いろいろ特徴があるわけであるが(もちろんそれらを集成したのが大指揮者なのだが)、モーツァルトを演奏する場合は、特にこの作曲家の、こんこんと湧いて尽きぬ歌の泉とその千変万化の流れとを、直感的に本能的に捉えられる指揮者でないと、モーツァルトの美しさのエッセンシャルな部分を表現できないことになってしまう。
モーツァルトの音楽を精妙に造型することのできる指揮者がいても、それだけではもうひとつ足りないのである。
ほとんどドミソでできたようなテーマでも、モーツァルトの場合は、不思議なことには"歌"なのだから。
その意味では今は亡きカラヤンの右に出る指揮者は現在もいないであろう。
さらには(当然のことだが)カラヤンはモーツァルトを良く研究し、正確に把握していた。
カラヤンのモーツァルトは、独自の自己主張を表した表情がときに牛刀をもって鶏を割く感も与えるが、いっぽうで磨き上げた音彩と柔らかいニュアンスが特色といえる。
音の艶やかな感触としなやかな運動性、ディテールをほどよくぼかした表情が耳に快く響き、カラヤン美学を徹底的に表していることは疑う余地がない。
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