2012年02月27日
カラヤン&ベルリン・フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1976年盤)
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細部を磨きに磨いて、精妙な演奏を目指してきたカラヤンの真骨頂が示された演奏として、まず第一に挙げられるべきものである。
さらに、これをもって、ベルリン・フィルとの仕事の到達点のひとつともいえるようである。
《悲愴》はカラヤンが得意としていた曲だけに、すみずみの微細なところまで完璧に磨き抜かれている。
それが感覚的な洗練と結び付いているので非常に美しく、カラヤン独自の美意識をうかがい知るのに絶好のものといえるに違いない。。
全体になめらかな旋律線と華麗な起伏が独自の表現をつくっており、徹底してカラヤン風の音楽といえる。
そのような精妙な表現ということで頂点に達していると考えられるのが、1976年に録音された《悲愴》の6度目の録音である。
生涯に何度も《悲愴》を録音したカラヤン。死の前年の来日時の録音が発売されて話題となったが、それを除けば、ベルリン・フィルとの最後の録音が本盤ということになる。
1988年の来日公演盤は、ライヴならではの熱気と死の前年とは思えないような勢いのある演奏に仕上がっているが、ベルリン・フィルの状態が必ずしもベストフォームとは言えない。
その意味で、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビが成し遂げた最も優れた名演ということになれば、やはり本盤を第一に挙げるべきであろう。
第1楽章の第1主題の展開部や第3楽章の終結部の戦慄を覚える程の激烈さ、第1楽章の第2主題のこの世のものとも思えないような美しさ、そして第4楽章の深沈とした趣き、いずれをとっても最高だ。
ここでのカラヤンの演奏を聴いていると、カラヤンは、指揮者にもかかわらず、ピアニストのグレン・グールドのように、コンサートをドロップアウトして、レコーディング・スタジオに閉じこもり、録音された音盤によってのみ、聴き手と触れ合いたかったのではないか、と思えてくる。
このような演奏は、明らかに、多数の聴衆を前にした、したがってどうしても雑然とならざるを得ないコンサート・ホールで聴くより、リスニング・ルームという密室で聴くのに適した性格のものである。
晩年にいたるまで、カラヤンがライヴ・レコーディングを避けて、スタジオでレコーディングを続けたのは、カラヤンの目指した演奏から考えても、正しかった、と思う。
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