2012年06月04日

ワルター&コロンビアのモーツァルト:交響曲第40番&第41番「ジュピター」/アイネ・クライネ・ナハトムジーク


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターは、旋律をよく歌わせる指揮者である。

それも、中庸を行った歌わせ方で、その品の良さ、典雅さはたとえようもなく美しい。

ワルターは、常に微笑みを忘れなかった人だ。

だから、とくにモーツァルトの明るく歌うような旋律では、常に「笑って……」という言葉を連発したという。

その暖かみのある真摯で人間味あふれる表現は、ワルター独自の世界である。

そして、ワルターはまた、モーツァルトを演奏する際に、オーケストラのメンバーを前にして「泣き伏したくなるほど、明るく、明るくなければならない」と言ったというが、その言葉は、この第40番の第2楽章のことを言ったのではないか、と思われるほどぴったりの演奏である。

モーツァルトの音楽に対する心からの共感が、これほど陶酔的にあらわれた演奏というのも、他にはない。

モーツァルトを愛してやまなかったワルターは、モーツァルトの他の交響曲と同じく、第41番《ジュピター》も何度も録音している。

いずれ劣らぬ名演だが、亡くなる2年前に録音されたこの演奏が最もすばらしい。

ワルターのモーツァルトへの敬愛の念がにじみ出た演奏で、ゆったりとしたテンポの第1楽章からして、いかにもワルターらしい風格が感じられるが、圧巻は終楽章のフーガで、その壮大で崇高な表現には、本当に魅せられる。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はきりりと引き締まった気品のある表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情豊かな演奏をおこなっている。

とくに、第2楽章の柔らかな、そして、暖かみのある表情は比類がない。

ワルターならではの、優しさと愛と歌にみちあふれた名演で、この指揮者の最晩年の録音だが、とてもそうとは信じられないほどの生気が感じられるのがすばらしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(8)モーツァルト | ワルター 

コメント一覧

1. Posted by 小島晶二   2022年01月31日 09:14
4 フルトヴェングラーの後はワルターのシリーズでしょうか。ワルターのモーツァルトを語る際このディスクは必ず議題に上る演奏だと言えるでしょう。両曲とも磨き抜かれた秀演と評価します。ワルターのモーツァルトは主題の繰り返しはテンポを微妙に変えて行かなくてはならないといった信念に貫かれており,それが彼のモーツァルトが女性的であっても,聴衆を飽きさせない力になっていると感じます。しかし41番はインテンポが裏目に出て,残念ながら40番に比しやや間延びした演奏に感じます。40番はウィーンフィルとのライヴ盤が人気が高い様ですが,私の一押しは墨絵の様なベルリンフィル盤,次点としては本コロンビア響ステレオ盤を採りたいと思っています。LP期では40,41番両曲だけでしたが,CD期になるとアイネクライネのおまけが付いて来るとは。こちらも秀演。
2. Posted by 和田   2022年01月31日 09:22
ご指摘のベルリン・フィル盤は1950年9月25日のコンサートの実況録音ですね。モーツァルトの第40番は、表現のスタイルはウィーン盤に似ていますが、上行ポルタメントは見られず、ワルターとしては何でもなく開始されます。テンポもごくふつうです。ところが、13小節眼の上昇音階で急にポルタメントが掛かり、大きなクレッシェンドと共に甘美な雰囲気が濃厚となります。すなわち1929年盤にそっくりなのです。もちろん偶然の一致でしょうが、この表情がベルリンのオーケストラだけに聴かれるのは興味深い現象だと思います。再現部の例のルフトパウゼはこの1950年盤にはすでに現われています。第2楽章は強調されたレガート奏法で開始されます。それゆえモーツァルトのとぼとぼした足どりは弱められていますが、その代わり4小節の終わりから急にピアニッシモにする寂しさが何とも言えません。展開部の切迫してゆくような速いテンポも、この盤独特のものです。メヌエットからフィナーレにかけては、低弦の威力が随所に感じられ、他の盤には見られないベルリンの味を伝えているのです。
3. Posted by 小島晶二   2022年01月31日 10:40
ベルリンフィル盤はポルタメントが程良く,ルフトパウゼもやや長め,何といっても指揮者の唸り声が入っていないのが心地良いです。その点ワルターのモーツァルト,バーンスタインのマーラーそしてコバケンのチャイコフスキーは要注意ですね(笑)。ところで,ワルター&ベルリンフィルの40番(50年9月25日)には2種の録音が有ると聞いています。徳岡直樹氏の説明によれば拍手や雑音の入ったライヴ盤と全くカットされたラジオ用音源ではないかと推測されています。つまりバイロイトの第9の様な事がワルターの演奏でも行われていたことになります。当時のベルリンは東西に分かれた混迷期で,フルトヴェングラーでさえベルリンでの演奏を控えていたと言われています。戦後唯一のワルター&ベルリンの演奏は極めて貴重ですね。
4. Posted by 和田   2022年01月31日 10:51
私はベルリン・フィル盤はセブンシーズとターラで持っていますが、徳岡直樹氏の指摘にあたるのかどうか解りかねます。モーツァルトの交響曲第40番は、ワルターがローマに客演した際の貴重な音源(1952年4月19日)のライヴ録音をご存じですか?演奏は極めて素晴らしく、これと前後してウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管による演奏会でモーツァルトの第40番が演奏されており、嬉しいことにすべてCDとなって聴くことができます。どれもこの曲の最高の演奏であり、人類の宝ですが、ローマ・イタリア放送交響楽団の演奏は、上記のどれにも負けない素晴らしい演奏です。もちろんワルターの演奏の本質は他のオーケストラを用いた演奏と全く同じです。もっとも、ウィーン・フィルは特別な存在で、ワルター&ウィーン・フィルの音としか言いようがないので比較の対象になりませんが、この演奏ではワルターの唸り声がたびたび聴こえてきて、オーケストラに激しいオーラが放射されていることがわかります。オケは完全にワルターの楽器となって、ワルターが洞察した音楽を自らのものとして一丸となってひたすら演奏しています。全ての音に必然性があり、確信に満ちており、輝いています。見せかけの表現は一つもなく、すべてが必然です。各奏者の奏でる音には、一音たりとも曖昧なものはなく、確信に満ちた何の迷いもない音を出していて素晴らしく、ワルターは指揮するどのオーケストラでも、結局のところ同じ音を出させ、崇高な演奏となります。熟達した指揮者のみが成せる業で、再生された音と、その音が構築する音楽の宇宙は普遍的かつ完璧です。録音は仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたもので、音質は良好です。
5. Posted by 小島晶二   2022年01月31日 21:51
拍手やノイズが入ったのはワルター協会盤並びにキング盤で,カットされているのがターラ新盤とされています。従って,ターラ盤がラジオ音源ではないかと推測されます。出来は第2楽章は前者が秀逸,第3楽章は後者の方が自然体で聴きやすいとの事です。私はLP期にコロンビア盤を持っていた気がしますが,もう手放してしまったので確かめようが有りません。もし興味が有れば徳岡氏のToutubeをご覧下さい。
6. Posted by 和田   2022年01月31日 22:09
ワルターのモーツァルトほど「幸福とは何か」を教えてくれる演奏はありますまい。しかもその場限りの幸福ではなく、長い人生を通じてのひとつの「幸福」です。愉しかったり嬉しいことばかりでなく、辛いことや悲しみも含め、なお「この人生は美しかった」と思える幸福のことです。ワルターのモーツァルト演奏での評価は、若い頃から高いものがあり、後年のワルターには、演奏前に楽屋の片隅でモーツァルトの霊と交信している姿が垣間見られたという伝説まで生まれたほどです。その魅力を簡潔に言えば、「温かみ」「微笑み」「共感」といった人間的な魅力と独特の品位を秘めた、しかし確固たる自信にあふれた解釈にあります。ワルターはモーツァルトを得意として、数多くの名演を遺してきましたが、現代の古楽器奏法の凡百の演奏に比べて、ワルターの、なんと穏やかで暖かく、底に秘められた力と情緒の美しさが全体を包み上げるスケールの大きな表現でしょうか。1曲1曲、いかにも職人が作り上げたというような、玄人肌の感触があり、音楽の表情づけがあたたかで柔らかく、今では滅多に聴くことのできないようなロマンティックでゆったりとしたヒューマンなモーツァルトが、かえって新鮮に感じられます。ワルターのような、いわば古典的な名演を聴いていると、どこか故郷に帰った時のようにほっとした気分になるのは、必ずしも私だけではありますまい。それにしても、シンフォニックかつ重厚でありながら、随所に見られるヒューマニティ溢れる情感豊かさを何と表現すればいいのでしょうか。堂々とした風格の中に、独特の柔らかで優美な雰囲気が感じられ、とてもチャーミング。長い人生における豊富な積み重ねといったものを背景にしながら、モーツァルトへの愛情の深さを真正面から告げていくような演奏内容はとても格調が高く、ワルターならではのモーツァルトです。
7. Posted by 小島晶二   2022年01月31日 22:32
40番の演奏には責任感の様なものと困難さを感じていました。如何なる不安感をいだくことも無くただ前進して深い感情や円熟した技巧を要求する≪ト短調≫の様な全ての曲目を演奏してしまう若い指揮者たちは私には理解出来ません。と述べている様にワルターは50歳を過ぎるまで一切40番を振ることは有りませんでした。ワルターのモーツァルト全てが秀逸とは言いませんが,40番に関しては他の指揮者は全く太刀打ち出来ませんね。以前お知らせしました様に,セル,バーンスタイン,アバド,クーベリックらが名を連ねると思いますが,ワルターとの差は相当ある様に感じます。
8. Posted by 和田   2022年01月31日 22:43
ワルターはモーツァルトの「第40番」を最も得意なレパートリーの1つにしており、レコードにも数々の名演を遺しました。特に第1楽章全体を通じて〈美への激しい祈り〉〈より美しいものへの魂の羽ばたき〉を実感させ、漲るような憧れの情が極まって哀しさを呼んでいます。聴いていて、どこまでがワルターで、どこまでがモーツァルトなのか判然としません。造型的にも完璧の一語に尽きましょう。第2楽章も速めで、音楽は常に弱めに、静かに、虚無感を湛えて運ばれ、それが聴いていてたまりません。まさに〈秋の野をひとり行くモーツァルト〉です。リズムの良さ、敏感さ、瑞々しくも寂しい漸強弱、そして第2テーマの何というピアニッシモ! その直前の何という感情の高まり!しかもそれらはいかにも融通無碍、あたかもワルター自身がピアノを弾くような即興性をもって行われてゆきます。ワルターの到達したこの境地に深く頭を下げずにはいられません。メヌエットは全曲中ではやや物足りなさを感じさせるかも知れませんが、その不満もトリオが解消してくれます。弦の三度のハーモニーは人間の心そのままを伝えています。フィナーレは出のテンポとリズムの良さにハッとする想いで、第2テーマで遅くする呼吸もこたえられません。まさにワルターの類稀な才能の表われと言えましょう。モーツァルトの世界にこんな演奏を持てたことに、われわれは心から感謝しなくてはならないでしょう。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ