2012年06月12日
シューリヒト&ウィーン・フィルのモーツァルト:交響曲第38番「プラハ」、第41番「ジュピター」、ヴァイオリン協奏曲第3番
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1960年8月14日、ザルツブルク音楽祭ライヴ。
コンサートホール原盤のステレオ録音(パリ・オペラ座管弦楽団)とは比べものにならないほど良い。
録音もモノラルながら良好で、何と言ってもウィーン・フィルのモーツァルト、そして楽員に尊敬されていたシューリヒトの指揮によるライヴということで、ファンのみならず、決して聴き逃せないディスクなのである。
筆者は久しぶりに聴いてみて、「こんなに気品があってニュアンス豊かな演奏だったのか」と感銘を新たにした。
特に《プラハ》は永遠の名演というにふさわしいものがあり、何回聴いても、そのたびごとに新鮮な感動が与えられる。
その感動とは、モーツァルトの音楽へのそれであろう。
《プラハ》はワルター(ウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル)やらベーム/ベルリン・フィルなどを選択してもいいと思ったが、このライヴはいささか日陰になっているので取り上げてみた。
シューリヒトの指揮は、一見淡々としていて、速いイン・テンポで余計な色づけを排し、ストレートに運ぶ。
だから飽きがこないのだが、淡々としているのはそう見せているだけで、実は千変万化のニュアンスの味わい深さが、作曲者の移ろいやすい心を伝えてゆくのだ。
《ジュピター》はシューリヒトのライヴ録音によくありがちな、オーケストラと指揮者がお互い手の内を探り合いながら進んでいく即興的な要素があって好きである。
やはり、ライヴ録音というものは、このような一瞬の駆け引きが聴けるものでなくてはならない。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2022年02月09日 09:14

2. Posted by 和田 2022年02月09日 09:27
シューリヒトのモーツァルトは、きびしい造形のなかから精彩にみちた生命力を表した、これこそ本当の音楽と言えるものです。雄渾で、激しい共感が音に表れた演奏で、そのきびしい表情は、他に比べるものがないほどです。ご指摘のパリ・オペラ座盤も率直な解釈で、さすがに大きな風格があり、一流とは言えないこのオケから堂々とした生命力豊かな音楽を引き出しています。「リンツ」には随所にこの大指揮者の感興が示されています。しかし、オーケストラのアンサンブルが粗く、技術的にも劣るので、いかにシューリヒトといえども、モーツァルトの純粋美を表出することは難しいようです。「プラハ」は一段と香り高く、シューリヒトに限らず、過去に行われたすべてのモーツァルトの録音の中でも、ひときわ高く聳える奇跡的な名演ですね。猛烈なスピードによる一気呵成の名演ですが、そのなかにまるで川面に揺れる光のような儚さが美しく、よく聴くと、シューリヒトの読譜の深さによって用意周到に演出されたものであることが分かります。シューリヒトの気品高い表現は、いまも存在価値を失いません。これでオケがもっと良質なら、と惜しまれます。シューリヒトはモーツァルトとブルックナーを最も得意としていましたが、後者は近年様々なライヴ音源が発掘されているのに対して、前者は余りにも少ないですね。私が初めて「リンツ」「プラハ」「ト短調」「ジュピター」を聴いたのがシューリヒト&パリ・オペラ座盤でした。言わば刷り込みされた訳で、他の所謂名演奏を言われる録音を聴いても結局シューリヒト盤に戻ってしまいます。
3. Posted by 小島晶二 2022年02月09日 09:37
確か和田さんは以前パリ盤を採り上げ,各の如く述べられていましたね(2010年2月17日)。ちなみに2月17日は私の誕生日です。故宇野功芳氏が絶賛していたこともあって, 彼の38番は日本のファンにも大いに評価されている様です。一方,シューリヒトの36番はテンポが速く, 何となく投げやり的な感じがして私は好きではありません。こちらは高音弦の圭角を滑らかにしたワルター/コロンビア響のディスクが今でも最高だと感じています。
4. Posted by 和田 2022年02月09日 09:43
ワルターの「リンツ」はフランス国立放送管とのライヴ(1956年)も素晴らしいと思います。オーケストラがワルターの指揮ぶりに慣れていないせいか、2つのコロンビア盤との録音よりも、ワルターのロマンティックな表情が強調されて表われており、それがファンにとってはたまらない魅力となります。第1楽章に頻出するテンポの動きと思い切ったカンタービレは現代の指揮者からは絶対に聴けなませんし、第2楽章も音楽に対するワルターの愛情や共感がほとばしり出ています。ワルターは常に「ここはこういう音楽なんだよ」と語りかけるのです。フィナーレ結尾のアッチェレランドをかけた情熱的な高揚はいつもながらのワルターです。