2012年08月16日
『カラヤンがクラシックを殺した』 (光文社新書) について
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この本の筆者(宮下誠氏)は否定しているが、カラヤンの音楽を不当に貶めることに腐心している厚顔無恥な偏向的著作。
この本は、だらだらと一個人の趣向を語っているように思えてならない。
哲学「的」な言葉で飾り立てられているわりに、客観性に乏しく、説得力がないのだ。
哲学用語・概念を列挙はするが、それらが生み出された背景を一切捨象した軽薄な用い方になっている。
たとえ言論の自由があったとしても、出版物という半ばパブリックの場で一方的に個人(故人)を批判するのはデリカシーに欠けると思う。
特に気になったのは、カラヤンの音楽を好むファンを、音楽を耳の悦楽、感覚の歓びと考える者だと決めつけ、カラヤンのファンを一方的に見下している点。
クレンペラーのファンがクラシックの本質を理解し、カラヤンのファンは理解していないなどと、何を根拠にして言えるのだろうか。
筆者が、カラヤンの音楽に精神性が欠如していると主張するならば、その根拠を彼の経歴等の表層面から説明するのではなく、彼の音楽の内容等の本質面に踏み込んで説明すべきだろうが、筆者の偏向的な鑑賞力では困難だろう。
時折、カラヤンをフォローするような文面も見られるがあまりフォローになっていない。
本当はクレンペラー、ケーゲル本を書きたかったのかもしれないが、結局、表題にカラヤンの名を忍び込ませることによって、カラヤンの名を利用している。
読後こんなに不愉快になる本はない。
カラヤンを嫌うのはご自由だが、筆者の好みを読者に押し付けるのは止めて欲しい。
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