2013年06月12日
ヴァント&北ドイツ放送響のブルックナー:交響曲第5番[1989年ライヴ]
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ヴァントの伝記を紐解くと、ブルックナーの交響曲の演奏に生涯をかけて取り組んできたヴァントが特別視していた交響曲は、第5番と第9番であったようだ。
朝比奈も、交響曲第5番を深く愛していたようであるが、録音運がいささか悪かったようであり、最晩年の大阪フィルとの演奏(2001年)を除くと、オーケストラに問題があったり、はたまた録音に問題があったりするなど、いささか恵まれているとは言い難い状況に置かれているところである。
これに対して、ヴァントの場合は、あくまでも比較論ではあるが、かなり恵まれていると言えるのではないだろうか。
ヴァントが遺したブルックナーの交響曲第5番の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1974年)、そして、本盤に収められた手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1989年)、数年前に発売されて話題となったベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1991年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1995年)、そして不朽の名演として名高いベルリン・フィルとのライヴ録音(1996年)という5種類を数えるところであり、音質、オーケストラの力量ともにほぼ万全であり、演奏内容もいずれも極めて高水準である。
この中でも、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。
もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、十分に素晴らしい名演と高く評価したい。
1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの小ささ、細部に拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。
前述のケルン放送交響楽団との演奏は、優れた名演ではあるものの、こうしたスケールの小ささが気にならないとは言えないところだ。
これに対して、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの両超名演は、ヴァントの厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい凝縮型の演奏様式に、最晩年になって漸く垣間見せるようになった懐の深さが加わり、スケールに雄大さを増し、剛柔併せ持つ至高・至純の境地に達している。
本盤の演奏は、これらの超名演の6〜7年前の録音ということになるが、ベルリン・ドイツ交響楽団との演奏(1991年)と同様に、頂点に登りつめる前の過渡期にある演奏と言えるかもしれない。
後年の超名演にあって、本盤の演奏に備わっていないのはまさに懐の深さとスケール感。
全体の厳しい造型は本盤においても健在であり、演奏も荘重さの極みであるが、いささか懐の深さが不足し、スケールがやや小さいと言えるのではないだろうか。
しかしながら、これは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。
音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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