2013年06月14日
テンシュテット&ロンドン・フィルのマーラー:交響曲第5番/第10番アダージョ
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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。
テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。
テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。
これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。
かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。
ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。
もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。
このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。
本盤に収められたマーラーの交響曲第5番及び第10番は、前述の交響曲全集に収められたものからの抜粋である。
テンシュテットのマーラーの交響曲第5番と言えば、同じく手兵ロンドン・フィルとの演奏であるが、来日時のライヴ録音(1984年)や壮絶の極みとも言うべき豪演(1988年)が有名であり、他方、交響曲第10番については、ウィーン・フィルとの一期一会の名演(1982年)が名高いところだ。
それだけに、本盤に収められた演奏は、長らく陰に隠れた存在とも言えるところであったが、今般、久々に単独での発売がなされたことによって、その演奏の素晴らしさがあらためてクローズアップされた意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。
確かに本演奏は、咽頭がん発病後、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでも前述のようなテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、スタジオ録音ならではのオーケストラの安定性も相俟って、第10番ともども、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。
本盤に収められた演奏については、前述のように個別には手に入らず、全集でしか手に入らなかったことから、HQCD化などの高音質化がこれまで施されていなかったが、そのような中での、今般のSACD化は長年の渇きを癒すものとして大いに歓迎したい。
いずれにしても、本SACD盤を聴いて大変驚いた。
従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
いずれにしても、テンシュテットによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
そして、可能であれば、全集の他の交響曲の演奏についても、SACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。
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