2013年06月27日
シューリヒト&ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第9番
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シューリヒトはブルックナーを得意中の得意としており、近年ではシュトゥットガルト放送交響楽団などとのライヴ録音なども数多く発掘されている状況にある。
それらは、必ずしも音質に恵まれているとは言い難いものの、いずれもシューリヒトならではの素晴らしい名演に仕上がっていた。
もっとも、それらの数々の名演が登場してもなお、シューリヒトのブルックナーの代表的な名演との地位がいささかも揺らぐことがない名演が存在している。
それこそは、最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行った交響曲第8番(1963年)及び第9番(1961年(本盤))である。
このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、速めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっている。
シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているだけに、名演との評価にはいささかも揺らぎがないが、近年のヴァントや朝比奈によるインテンポによる名演奏の数々に慣れた耳で聴くと、若干の違和感を感じずにはいられないところである。
これに対して、本盤に収められた第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っており、第8番の演奏のような違和感などいささかも感じさせないところだ。
ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、まさにウィーン・フィルによる美演をも最大限に生かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。
各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせると言えるところであり、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力がある。
第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈といえども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。
いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、第1楽章及び第2楽章に関しては、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したい。
音質は、1961年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つ冴えない音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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