2013年08月27日
ヴァント&北ドイツ放送響のチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」&ストラヴィンスキー:プルチネルラ[1991年ライヴ]
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チャイコフスキーの最高傑作でもある交響曲第6番「悲愴」については、これまで数多くの独墺系に指揮者が演奏・録音してきた。
フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者のほか、カラヤンに至っては、同曲を心から愛し、おびただしい数の録音を行った。
ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、それでも交響曲第5番と比較すると、幾分ヴァントの芸風が生かされる余地がある楽曲と言えるのかもしれない。
ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。
これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能である。
もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。
しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。
本盤に収められたのは交響曲第6番であるが、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。
ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。
したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。
そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。
もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。
併録のストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」も、ヴァントしては極めて珍しいレパートリーであるが、これまた異色の名演だ。
いわゆる新古典派と称される音楽であり、親しみやすい旋律に満ち溢れた名作であるが、ヴァントは陳腐なロマンティシズムに拘泥することなく、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。
同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。
音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。
いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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