2013年09月09日
キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管のチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。
第1弾のマンフレッド交響曲も名演であったが、本盤の「悲愴」も素晴らしい名演と高く評価したい。
旧ソヴィエト連邦の時代から現在に至るまで、数多くの世界的なロシア人指揮者が活躍してきたが、いずれの指揮者も、祖国の大作曲家チャイコフスキーを深く崇敬し、チャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきた。
ムラヴィンスキーを筆頭として、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ等々、そして現代のヤンソンスやゲルギエフ、プレトニョフなどに至るまで、いずれもチャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきている。
そして、ここからは私見であるが、かつての旧ソヴィエト連邦時代に活躍した指揮者による演奏は、ムラヴィンスキーは別格として、どちらかと言うと、ロシア風の民族色を強調したあくの強い演奏が多かったように考えている。
当時の旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラにおける金管楽器などのヴィブラートを利かせた奏法などに独特の特色があったことも、そうした演奏の性格に一役を買っていたのかもしれない。
ところが、近年では、ゲルギエフにはややあくの強さの残滓が見られなくもないが、ヤンソンスやプレトニョフなどは、かなり洗練された演奏を行ってきているように思われる。
キタエンコも、かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代はかなりあくの強い演奏を行っていたが、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってから、その演奏も随分と洗練されてきたように思われる。
前回のマンフレッド交響曲もそうであったが、本盤の「悲愴」でも、キタエンコは楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、全体的には従来よりは比較的洗練された装いが支配している。
もっとも、テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。
そして、ここぞという時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章展開部、第3楽章)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。
第1楽章の第2主題や第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、終楽章の遅めのテンポによる彫りの深い慟哭の表現は濃厚の極みであり実に感動的だ。
また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。
さらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の鮮明な高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
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