2013年09月16日
インバル&フランクフルト放送響のマーラー:交響曲全集
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本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。
それどころか、録音から25年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。
インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。
それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。
インバルのマーラーは、近年の都響やチェコ・フィルとのライヴでは随分と変容しつつあるが、本盤の各演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。
したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。
しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。
ただ、本盤のようなスタジオ録音による全集を完成させるに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。
マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本盤におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。
しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。
それが各演奏を四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる各演奏を感動的なものにしているところだ。
前述のように、本全集におけるインバルによる演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本全集が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。
1985年から1988年という極めて短期間に(1992年のスタジオ録音である第10番のクック全曲版については、もともとの全集とは別個に録音されたものであり、ここでは全集と区別して考えたい)録音されたということも、各交響曲毎の演奏のムラをなくす結果に繋がっている。
そして、本全集でさらに素晴らしいのは、マーラーのような大編成のオーケストラ曲においては画期的とも言えるワンポイント録音による極上の鮮明な超高音質である。
様々な楽器セクションがこれほど鮮明に、そしてナチュラルに分離して聴こえるというのは、他の録音でも極めて少ないと言えるところであり、本全集の普遍性に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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