2013年10月06日
ヴァント&北ドイツ放送響のチャイコフスキー:交響曲第5番&モーツァルト:交響曲第40番[1994年ライヴ]
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独墺系の指揮者にはチャイコフスキーの交響曲の録音を好んで行った者は多い。
フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者が、後期3大交響曲の録音を行っているし、カラヤンに至っては、交響曲全集のほか、数多くの録音を遺している。
ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。
これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能であるとも言える。
もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。
しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。
本盤に収められたのは交響曲第5番であるが、同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。
それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。
演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。
ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。
したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと感じられる。
そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。
もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。
併録のモーツァルトの交響曲第40番も、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ないが、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏と同様に、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。
いずれにしても、本演奏は、ヴァントの最晩年の清澄な境地が示された至高の名演と高く評価したい。
ヴァントは、同時期に交響曲第39番や第41番も録音しているが、可能であれば、本盤のようにSACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。
音質は、1994年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。
音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。
いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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