2013年12月01日
キーシンのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(カラヤン)、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(アバド)
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本盤には、キーシンがピアノ演奏を行ったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が収められている。
協奏曲は、ピアニストだけでなく、指揮者があってこそはじめて成り立つことも考慮に入れれば、指揮者が異なるこのような演奏どうしのカップリングについては大いに問題があると言えるところであり、敢えて苦言を呈しておきたい。
いずれも名演であり、キーシンの個性があらわれているのはプロコフィエフの方であろうが、より優れた名演はチャイコフスキーの方である。
それは、何よりも、バックをカラヤン&ベルリン・フィルがつとめたというのが大きい。
本盤の演奏は、カラヤンのベルリンでの最後のコンサートとなったジルヴェスターコンサート(1988年12月31日)の直前に収録されたものとされている(加えて、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディングにも相当する)。
もっとも、CDにはライヴ・レコーディングと表記されており、演奏終了後の拍手が収録されていることから、ジルヴェスターコンサートでの実演をベースにしつつ、一部にゲネプロでの演奏が編集されているのではないかとも考えられるところだ。
当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂寸前。
そして、カラヤンの健康も歩行すら困難な最悪の状況であり、コンサートが行われたこと自体が奇跡でもあった。
それだけに、本演奏にかけるカラヤンの凄まじいまでの執念は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を有している。
1960年代や1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏のような、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマはもはや本演奏においては殆ど聴くことができない。
そして、カラヤン自身の統率力にも衰えが見られるなど、演奏の完成度という意味においては随所に瑕疵が散見されると言わざるを得ないが、前述のような本演奏にかける凄まじいまでの執念と、そしてキーシンという若き才能のあるピアニストを慈しむような懐の深い指揮が、本演奏をして至高の超名演たらしめているのである。
テンポは極めてゆったりとしたものであるが、これはカラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を、そしてベルリンで行った数々の演奏会を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きもあり、本演奏は、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にある。
他方、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、バックがアバド&ベルリン・フィルだけに、キーシンの個性が全開である。
卓越した技量をベースとして、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、いかにもキーシンならではの堂々たるピアニズムを展開している。
アバド&ベルリン・フィルの演奏も、前述のカラヤンによる演奏と比較すると、長いトンネルを抜けたような軽妙さであるが、キーシンのピアノの引き立て役としては申し分のない名演奏を繰り広げていると評価したい。
音質は、従来盤でも十分に満足できる高音質である。
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