2013年12月25日
バーンスタイン&イスラエル・フィルのドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」/スラヴ舞曲集
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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。
バーンスタインの芸風は、1980年代に入ってから大きく変化したように思われる。
テンポが著しく遅くなるとともに、表現は雄弁できわめて大仰なものとなったからである。
こうした変化は、バーンスタインの健康の衰えによるものなのか、それとも晩年になって感情移入の度合いが高くなってきたためなのか定かではないが、いずれにしても、その変化の大きさは、常識をはるかに超えているとさえ言えるだろう。
バーンスタインには、熱烈な愛好者も多く存在しており、そのような人からすれば、かかる演奏を持って、晩年になって新境地を開いたとか、スケールが雄大になったとか、あるいは真の巨匠になったなどと評価するのであろう。
しかしながら、一般の愛好者の中には、とてもついていけないと感じる人も相当数いるのではないだろうか。
かく言う筆者もその一人である。
マーラーや、精神分裂気質がマーラーと似通っているシューマンの楽曲の演奏については、筆者は高く評価している。
それどころか、特にマーラーについては、バーンスタインこそは史上最高のマーラー指揮者として高く評価しているところだ。
しかしながら、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏については、雄弁であるが内容は空虚。
スケールはやたら大きいが、いわゆるウドの大木の誹りは免れないのではないかと考えている。
本盤に収められたドヴォルザークの「第9」も、そのようなバーンスタインの欠点が露骨にあらわれた凡演と言えるだろう。
バーンスタインは、最晩年になって、あらゆる楽曲がマーラー作曲の楽曲のように感じるようになったのであろうか。
粘ったような進行や表情過多とも言える大仰さはほとんど場違いな印象を与えるところであり、とりわけ第2楽章のあまりにも前に進んで行かない音楽にはほとほと辟易とさせられた。
バーンスタインは、1962年にニューヨーク・フィルと同曲を録音しているが、そちらの方がよほど優れた演奏であり、いかにもヤンキー気質の力づくの箇所もないわけではなく名演と評価するには躊躇するが、若武者ならではの爽快な演奏であった。
本盤での救いは、併録のスラヴ舞曲集であろう。
これとて、大仰さが気にならないわけではないが、交響曲よりはよほどまともな演奏と言える。
録音は交響曲が1988年、スラヴ舞曲集が1986年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干鮮明さを増すとともに音場が広がったように感じられる。
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