2014年01月14日
トスカニーニ&NBC響のチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
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1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。
同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。
トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。
交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。
しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。
トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。
トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。
情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。
しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。
その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。
その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。
第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。
実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。
文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。
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