2014年02月23日
ゲルギエフ&ロンドン響のチャイコフスキー:初期交響曲集
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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。
来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。
しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。
そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。
これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。
そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。
随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。
ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。
いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。
そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。
また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。
SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。
いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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