2014年03月04日

ストラヴィンスキーの自作自演 BOX


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88年の生涯にわたって輝かしい音楽的業績を遺した20世紀最大の作曲家の一人、イゴール・ストラヴィンスキーは、自身の音楽美学の実践のために、作曲家と演奏家の分業化が進んだ20世紀に於いては珍しく、積極的に自作自演をおこない、それを徹底して録音に遺した。

それは、いわば演奏の客観主義、純音楽論であった。

いわゆる主観的演奏の存在を正当づける19世紀的音楽理念と誤った唯美主義を否定するものだった。

もっともストラヴィンスキーの有名な言葉に「演奏者の才能は、実際にスコアにあるものを理解する能力にあらわれるもので、自分が見つけたいと思うものをスコアに見つけようという決意にあるわけではない」という演奏家の職務に対する定義があるが、それはまさに独断的な演奏に対する作曲者としての実質的な抵抗でもあったわけである。

つまりストラヴィンスキーは自作を楽譜のままに、いささかの主観を加えず演奏することを求めていたのである。

巨匠風の誇張した表情や勝手な解釈は、ストラヴィンスキーの排斥するところであった。

当然、自作自演は、客観主義の演奏の実践であると同時に、いわゆる演奏家の「解釈」の恣意性を嫌ったストラヴィンスキーの模範的解釈の提示であったわけである。

ストラヴィンスキーのこの模範的解釈を示す為の自作自演は、演奏旅行のかたちで全世界に繰り広げられていったが、もう一方、早くから極めて重視したのが録音であった。

そこで自作自演盤は、ストラヴィンスキーがどのような演奏を求めていたかという解答である。

演奏としても、余分な解釈の追加を嫌ったストラヴィンスキーの思想が明確に示され、例えば《春の祭典》など、これ以上の演奏はないといえるほどに乾いた表情が端的な迫力をあらわし、この作品が誕生したときの衝撃的な意味を明らかにしている。

その他の作品の演奏も、もはや無機的といえるほど乾いた表情で一貫しており、いわゆる解釈された演奏にない作品像が樹立されている。

荒々しい精気がみなぎり、作品の本質が赤裸々にあらわされる。

これこそが作曲家の望んでいた演奏であり、他に多くの名演・秀演があるなかで、やはり作曲家自身の演奏は計り知れない価値を有している。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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