2014年03月07日
クリップスのハイドン:交響曲集、シューベルト:交響曲第6番、メンデルスゾーン:『イタリア』
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クリップスが得意としたハイドンを中心に、シューベルト、メンデルスゾーンをカップリングした2枚組。
ウィーン・フィルとの『驚愕』&第99番は昔から名盤として親しまれてきたもので、シューベルトの第6番は繊細な歌い回しが、メンデルスゾーンの『イタリア』は上品な明るさが絶品。
しかし、このディスクの最大の聴きものはやはりウィーン・フィルを指揮したハイドンであろう。
ウィーンに生まれ、ウィーンに学び研鑽を積んだ生粋のウィーン子であるクリップスの代表作のひとつとして、評価の確立している名演である。
懐古趣味に浸るのもどうかと思うが、今後、このような魅惑いっぱいのウィーン・フィルを聴くことは考えられない。
典雅に振れる指揮者もいないし、ウィーン・フィル自体もこのような芳醇な香りを失ってしまった。
どの瞬間もあまりに美しく、解説するのは野暮だし、批評する気にもなれない。
そこで、この場では音楽における「ウィーン訛り」ということを考えてみたいと思う。
何をもってウィーン風の「粋」というのか? クリップス盤と他の演奏を最も隔てるものは何かと言うと、演奏する際のイントネーションではないかと思われる。
弦楽器奏者の弓が弦に触れ、発音する際、まるで喋るようなニュアンスがあるのだ。
もちろんオーケストラは器楽合奏であるけれど、まるで声楽家がリートを歌うように、フレーズのそこここにウィーン流に訛った「子音」があるのである。
そして、よく聴くと、子音ばかりでなく「母音」もウィーン訛りなのだ。
フレーズの流れやアクセントも独特で、それは弦楽器ばかりでなく、管楽器にまで及んでいるのが分かってくる。
ことにハイドンの典雅な楽想やチャーミングな音色美を、クリップス以上に生かし得た指揮者は一人もいない。
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