2014年04月02日

アバド&ウィーン・フィルのマーラー:交響曲第9番&第10番「アダージョ」


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アバドによるマーラーの交響曲第9番と言えば、いの一番に1999年にベルリン・フィルとライヴ録音した超名演が思い浮かぶ。

アバドは、この演奏のあと大病を患うのであるが、当該演奏には死を予見したかのような凄みがあり、それまでのアバドによる様々な演奏とは一線を画するような至高の高みに達した超名演であった。

同曲の本質は、死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執や憧憬であると言えるが、アバドは、自らが死と隣り合わせになるという絶望的な境遇に陥ったことによって初めて、その音化に見事に成功したと言えるだろう。

ところが、当該演奏の約12年前の本盤に収められた演奏はどうであろうか。

様々な意見もあろうかとも思うが、筆者としては、聴き手の心の琴線に訴えかけてくるものが今一歩弱いと言わざるを得ないのではないかと考えている。

確かに、美しい演奏ではある。

本演奏において、ウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、このオーケストラの美音が演奏全体に独特の魅力を付加しているというのも否定し得ない事実ではある。

しかしながら、その美しさというのも、例えば、カラヤンのように、余人には及び難い絶対美の世界を構築し得る(1982年盤)のであれば、一つの方向性として説得力があるのだが、本演奏の場合は、美しさのレベルにおいてもとてもカラヤンの域に達しているとは言い難い。

また、第1楽章の死への恐怖と闘いについても、前述のアバドによるベルリン・フィル盤のような凄みには到底及んではおらず、いささか中途半端との誹りは免れないのではないかと考えられる。

もっとも、随所に聴かれる歌謡性の豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには魅力があると言えるところである。

その意味では魅力的な箇所にも事欠かないとも言えるのかもしれない。

第10番については、この後の録音がなされていないことから本演奏が現時点でのアバドによる最新の演奏ということになるが、その演奏内容の評価については第9番と同様のことが言えるのではないか。

美しくはあるが、かと言って他の演奏を圧するような絶対美の世界を構築し得ているわけではない。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みはないが、他方、歌謡性豊かな情感には満ち溢れており、その意味では魅力的な箇所も多々存在している。

いずれにしても、第9番、第10番ともに、踏み込み不足の誹りは免れないと言えるが、他方、魅力的な箇所も散見されるところであり、ウィーン・フィルによる美演も相俟って、総体として佳演との評価をするのにいささかの躊躇もするものではない。

なお、初出の時もそうであったが、アバドは、両曲をCD化するに際して、第10番を冒頭に配してその後に第9番をカップリングするという楽曲の配列にしているが、これは何か意味があるのであろうか。

少なくとも、第10番の内容に鑑みれば、第9番の終楽章の次に配するのが至当であると考えるのだが、少なくともアバドによる本演奏を聴いても、かかる特異な配置の説得力を勝ち取るだけの根拠を見出すのは困難であると言わざるを得ない。

録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは大いに歓迎したい。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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