2014年03月28日
デュ・プレ&バルビローリのエルガー:チェロ協奏曲/歌曲集「海の絵」(ベイカー)[SACD]
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エルガーのチェロ協奏曲は、悲劇のチェリストであるデュ・プレの代名詞のような楽曲であった。
エルガーのチェロ協奏曲とともに2大傑作と称されるドヴォルザークのチェロ協奏曲については、ロストロポーヴィチをはじめ数多くのチェリストによって録音がなされ、あまたの名演が成し遂げられている。
ところが、エルガーのチェロ協奏曲に関しては、近年では若手の女流チェリストであるガベッタによる名演(2009年)なども登場しているが、デュ・プレの名演があまりにも凄いために、他のチェリストによる演奏が著しく不利な状態に置かれているとさえ言えるだろう。
かのロストロポーヴィチも、デュ・プレの同曲の名演に恐れをなして、生涯スタジオ録音を行わなかったほどである(ロストロポーヴィチによる同曲のライヴ録音(1965年)が数年前に発売された(BBCレジェンド)が出来はイマイチである)。
デュ・プレは同曲について、本盤のスタジオ録音(1965年)のほか、いくつかのライヴ録音を遺している。
テスタメントから発売されたバルビローリ&BBC響との演奏(1962年)なども素晴らしい名演ではあるが、演奏の安定性などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位はいささかも揺らぎがない。
本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さは圧巻の凄まじさだ。
本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。
もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。
それでいて、エルガーの音楽に特有の人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。
このような演奏を聴いていると、同曲はデュ・プレのために作曲されたのではないかとの錯覚さえ覚えるほどであり、さすがのロストロポーヴィチも、同曲のスタジオ録音を諦めた理由がよく理解できるところである。
デュ・プレのチェロのバックの指揮をつとめるのはバルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、同曲の数々の抒情的な旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。
併録の歌曲集「海の絵」も、ジャネット・ベイカーの歌唱が何よりも美しい素晴らしい名演と評価したい。
音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では音に歪みが生じているなど今一つ冴えないものであったが、数年前にHQCD化されたことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。
そして、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤をはるかに凌駕していると評しても過言ではあるまい。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、デュ・プレやバルビローリ等による素晴らしい超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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