2014年04月07日
シェルヘンのバッハ:マタイ受難曲
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合唱の粗さや歌唱法の古めかしさなどはさておいて、ここに聴くシェルヘンの解釈には驚くべきものがある。
「人間はいかにあるべきか」という究極の問いが、シェルヘンを衝き動かす原動力。
カント、ルソーらの啓蒙思想に傾倒したシェルヘンは、ロマン主義より一段上の「真の人間性」の回復を願い、「宇宙の法則」を確信していた。
また、数学も愛したシェルヘンにとって、幾何学を音にしたようなバッハはまさに理想の音楽だった。
だから、聴き手の情に訴える、という安易な道を選ばず、作品の構造を明らかにすることを身上とする。
ただ、それを実現しようとする情熱は、常軌を逸していた。
理想の追求に性急な余り、楽員を度々怒鳴りつけた(唯一、不足するのは「思いやり」「寛容」だろう)。
人類最高の宗教音楽《マタイ受難曲》に臨む、シェルヘンの姿勢はまことに高潔そのものである。
音の古さ、時代がかったコーラスを超えて、シェルヘンの掲げる眩しい理想を受け取りたいものだ。
彼らしいエキセントリックな面こそさほど前面には出ていないが、それでも、突き放したような厳格さから思い入れを込めたロマン的な表情付けや表現主義的な鋭さに至るまで、多様自在なアプローチのうちに全体を構築していく様は全く独自のものだ。
イエス捕縛後の合唱付き二重唱アリアのように急速な切迫感を示すと思えば、悠久さを感じさせるまでの終結合唱のように異常に遅いテンポを取ったりなど、テンポの幅も極端。
雄弁なコラールの意味付けも興味深く、一見時代がかったような歌唱もシェルヘンの意図に沿ってのことなのかもしれない。
テキストの内容を生々しく語るオーケストラ、常にアンサンブルの一員として作品に奉仕する声楽陣の姿勢も爽やかで、まさに音楽の前に謙虚なシェルヘンの生き方の反映と思われる。
しかし、これから《マタイ》を聴く、という人には、もっと良い録音や上手なコーラスも必要かもしれない。
そこで、時空を超越した決定盤であるリヒターの旧盤を挙げておく。
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