2022年10月13日
🧚現実の世界からより自由になった👨🎨孤高の芸術家「魂の逍遥」🪶クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」🦸
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
クナッパーツブッシュのウィーン・フィルとの『エロイカ』(1962年ライヴ)は、ミュンヘン・フィル盤とともにクナッパーツブッシュの巨大さを味わえるのが嬉しい。
第1楽章の凄絶さはブレーメン盤に譲るものの、音の響きを愉しむ高尚な遊びの精神が演奏に桁外れの大きさを与えている。
その点、月並みな論評ながらブルックナー的な演奏と言えるだろう。
クナッパーツブッシュお得意の不意打ちのアクセントもウィーン風に柔らかに翻訳されており、演奏のところどころに可憐な花を咲かせている。
大らかな分、ミュンヘン・フィル盤ほど堅牢な造型ではない。
現実の世界からより自由になった孤高の芸術家の「魂の逍遥」を味わいたい。
第2楽章は、晩年のクナッパーツブッシュとウィーン・フィルだけが創造できた異空間である。
ヴァイオリンの調べに伴う何と言う色香…、喪服を纏った若き未亡人のような妖艶さとでも言おうか。
涙に濡れるオーボエの嘆きも、聴く者の心を濡らさずにはおかない。
中間部の対位法も、晩年のクナッパーツブッシュならではの巨大な音の建築物となっている。
スケルツォもクナ節全開だ。
主部のリズムの何と言う刻みの深さ。トリオでは、クナッパーツブッシュとプレイヤーの微笑ましい心の交流が見て取れる。
ホルンのプレイヤーに向かって「そこは遠慮なく吹いて下さいよ」と合図を送ると「よしきた。任せとけ」とばかりに、とんでもない最強奏で応える。
オケのメンバーは、このようにクナッパーツブッシュに褒められたい一心で張り切る。
クナッパーツブッシュも彼らの頑張りに満足げな表情で応える、というわけだ。
さて、フィナーレの変奏曲こそは、クナッパーツブッシュの真骨頂で、まるでひとりの「英雄」の生涯を回顧するような音のドラマが展開する。
ここには、英雄の台頭、獅子奮迅の活躍から、その失脚と死までが、「叙事詩」のような壮大さで描かれているのである。
ことにテンポを落とすポコ・アダージョ以後の深い感動の歌は、クナッパーツブッシュにしか描けない。
まるでワーグナーの楽劇を聴くようであり、「なるほど、これでこそ『エロイカ』なのだ」という不思議な感動に襲われるのである。
「レオノーレ」序曲第3番も迫真の演奏である。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。