2015年04月04日
レーマン&ワルターのシューマン:歌曲集「女の愛と生涯」、歌曲集「詩人の恋」、他
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20世紀前半にオペラ界、演劇界に君臨したロッテ・レーマンの遺産であるとともに、ブルーノ・ワルターのピアノ伴奏が聴けるはなはだ貴重なディスクである。
何と言ってもピアノはその人の人間味が直接肌にふれてくるだけにワルターを愛する者には懐かしく、指揮以上の魅力があるとも言えるだろう。
指揮の方がずっと巧いのは言うまでもないが、果たしてどちらが彼の個性をより多く映し出しているかという点になると問題がある。
可憐なシューマンに対し、レーマンは馥郁たる成熟した声と、比類無きドラマ作りをトレードマークとした。
単曲のリートにおいては凝縮された物語を、連作においては小宇宙を形成するかのような、構成力と集中力を発揮。
レーマンの秀でたそれら能力がもっとも現れたのが、オバート=ソーンの見事な手腕によって復刻された「女の愛と生涯」と「詩人の恋」。
彼女の息づかいまで再現されたこの盤は、シューマンの精神世界をもっとも情緒豊かに表現した歌唱として、録音史上語りつがれること間違いなしの傑作である。
「女の愛と生涯」のワルターのピアノはごく素朴だ。
タッチも弱いし、テクニックも冴えないが、これを聴くかぎりにおいて、彼のリズムやダイナミックスがモーツァルトを基盤としていることがいっそうよくわかるのである。
レーマンの重いリズムとは対照的な軽さ、ロマン派のシューマンを弾きながら、はめをはずさぬところ、それはワルターの技巧不足から生ずる弱さとはまた別な、何か根本的なものとしてわれわれに映るのである。
もちろん彼ならではの間はあるが、ワルターならば、もっとロマンティックなピアノを弾いてもよさそうなものなのに、と思う人も多いことだろう。
そのくらい控えめなのだ。
レーマンの独唱はテクニックや声の点で最高とは言えないが、ここに表出されるむせるような女くささは見事である。
前半の曲に少女らしい恥じらいや慎みのない点は、人によって抵抗もあろうが、これほど感情的な歌唱は他に決してない。
レーマンには1928年、ワイスマン指揮による「女の愛と生涯」の録音もあり、彼女の全盛期だっただけに、その歌唱は主情的・情熱的なものだったが、それに比べるとここでの歌唱は、より客観性を重視した優しいものとなっている。
これは伴奏のワルターのリードによるところもあるだろう。
「詩人の恋」は、「女の愛と生涯」と同様、ワルターのピアノはレーマンの歌唱に比して素朴すぎ、音量的にも弱いのが残念だが、彼の天性は本来情緒的であるから、粘りすぎたり大げさにならない程度の人間味はある。
それが最高に表われているのが終曲の後奏で、このデリケートで女性的なタッチ、嫋々たるピアニッシモ、ルバートを多用し、和音をずらして気分的に弾いてゆく表情は美しさのかぎりと言えよう。
意外に主張の乏しいワルターのピアノであるが、この後奏を聴くだけでも価値はある。
どうしてこれを「女の愛と生涯」も含めて、全曲に及ぼさなかったかと、つくづく惜しまれる。
おそらく彼のピアノには根源的な性格が指揮以上に出ているのではないだろうか。
しかし演奏家として当然持つべき表現力は指揮の方が数段上であると思わざるを得ない。
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