2014年04月30日
ショルティ&シカゴ響のマーラー:交響曲第5番[SACD]
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膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、マーラーの交響曲については特に早くから取り組んでおり、1960年代というマーラーが知る人ぞ知る存在であった時代にも、ロンドン交響楽団と第1番、第2番、第3番、第9番、そしてコンセルトへボウ管弦楽団とともに第4番のスタジオ録音を行っている。
また、第1番についてはウィーン・フィルとのライヴ録音(1964年)が遺されており、既に1960年代にはマーラーの交響曲はショルティのレパートリーの一角を占めていたのではないかと考えられる。
本盤に収められた1970年のスタジオ録音であるマーラーの交響曲第5番は、シカゴ交響楽団との初のマーラーの交響曲の録音。
ショルティは、本演奏を皮切りとして、シカゴ交響楽団とマーラーの交響曲をスタジオ録音することになり、それらをまとめて交響曲全集を完成させることになった。
その意味においては、本盤の演奏は、ショルティにとっても記念碑的な演奏として位置づけられるものと考えられる。
ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、前述のように、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。
こうしたショルティのアプローチは後年の演奏においても殆ど変わりがなかったが、そうしたショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤の第5番の演奏であると考えられる。
それにしても、筆者は、これほど強烈無比な演奏を聴いたことがない(特に終楽章が凄まじい)。
耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。
まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演との呼び声が高く、本演奏とは正反対の血も涙もあるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1988年)にいささかも引けを取っていない。
あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。
加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。
いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。
かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
なお、ショルティは、同曲をシカゴ交響楽団とともに1990年にライヴ録音するとともに、最晩年の1997年にもトーン・チューリヒハレ管弦楽団とともに録音しており、それらも通常の意味における名演とは言えるが、とても本演奏のような魅力はないと言える。
それにしても、ショルティのマーラーの交響曲演奏の代表盤とも言うべき本演奏を今般シングルレイヤーによるSACD化したユニバーサルに対しては深く感謝の意を表したい。
先般の高音質化によって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、とりわけ終楽章の二重フーガの各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的とも言えるところだ。
いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による圧倒的な超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。
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