2014年05月07日
ヴァント&ベルリン・ドイツ響のモーツァルト:交響曲第40番/チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
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ヴァントは、徹底したリハーサルを繰り返すことによって自ら納得できる音楽作りを追求し続けたことから、起用するオーケストラを厳選していた。
長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団が第一に掲げられる存在と言えるが、その他のオーケストラとしては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団が掲げられるところだ。
ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。
ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。
本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番やモーツァルトの交響曲第40番は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。
チャイコフスキーの交響曲第6番については、既に1991年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその3年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。
本盤に収められた演奏についても、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。
ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。
したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。
そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。
もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。
なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1991年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。
他方、モーツァルトの交響曲第40番については、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1959年)、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1994年ライヴ録音)が既発売であることから、ヴァントによる3種目の録音ということになる。
本演奏については、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ない。
テンポはかなり速めであり、一聴すると無骨とも言えるところであるが、各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、北ドイツ放送交響楽団との演奏ほどではないが、ヴァントの晩年の澄み切った境地が示された名演と高く評価したい。
音質は、1988年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。
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