2014年05月13日
ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、他
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ミトロプーロスは、大変な実力者で今でも熱烈的なファンのいる孤高の名指揮者であった。
その芸術は、「明確な鋭さと慎重な速さを持ち、端正でヒューマンな演奏」であった。
「悲愴」は鋭角的で過激な演奏で、厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏だ。
尖っているというか、ハードボイルドというか情緒を排した非情なほど辛口の演奏なのだが、その気品の高さと渋い美しさは無類のもの。
テンポは速めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な速さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じ。
第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていく。
第2楽章はアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。
第3楽章も明晰で厳しい解釈だが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏かと思う。
第4楽章も思い入れの一切ない解釈ぶりで、いくぶん速めのテンポだ。
あまりドロドロした感じでないのが特徴だ。
ポケットスコアにないことなのだが、第4楽章クライマックスの直前部分で、フルート&オーボエの木管にトランペットらしい音が重なり演奏効果をあげている。
これは初めて聴いたが凄い効果である。
「悲愴」の音源はSPからLP、CD、DVDまで約300種類を超えるらしいが、この演奏は間違いなくベスト10というか横綱級の聴きごたえのあるCDである。
他の曲にしても、表面上は素っ気ないようだが、聴いた後は何か爽快な感じが残る。
この時期の評判は良くないのだが、この演奏で聴くニューヨーク・フィルは実に上手い。
ミトロプーロスの私情を排したストレートな指揮のもと、ニューヨーク・フィルの厳しくも迫力あるソノリティが、高揚するスラヴ・ロシアの音楽魂を再現している。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。