2014年06月30日
バルビローリ&ニュー・フィルハーモニア管のマーラー:交響曲第6番「悲劇的」/R.シュトラウス:メタモルフォーゼン[SACD]
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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、マーラーの交響曲についてもコンサートで頻繁に採り上げるとともに、ライヴ録音などを含めると相当数の録音を遺しているところである。
交響曲第6番「悲劇的」についても複数の録音が遺されており、ベルリン・フィルとの演奏(1966年(ライヴ録音))、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1967年(ライヴ録音及びスタジオ録音(本盤)の2種))の3種の録音が存在している。
今後も、更に録音が発掘される可能性は否定できないが、これら3種の録音はいずれ劣らぬ名演である。
この中で、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤は、オーケストラがベルリン・フィルとニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いがあるものの、演奏全体の造型やテンポ、そしてアグレッシブな豪演などと言った点においてはほぼ共通するものがある。
これに対して、本演奏は、バルビローリにとっても同曲の唯一のスタジオ録音ということもあるが、これらの2種のライヴ録音とは、その演奏の性格が大きく異なっているところだ。
そもそもテンポが大幅に遅くなっている。
トータルの時間でも10分以上の遅くなっているのは、前述のライヴ録音盤がいずれも約73分であることに鑑みれば、大幅なスローダウンと言えるだろう。
それだけに、本演奏におけるバルビローリの感情移入の度合いには尋常ならざるものがある。
バーンスタインやテンシュテットなどに代表されるドラマティックな演奏や、はたまたブーレーズなどによる純音楽に徹した演奏などとは異なり、滋味豊かな情感に満ち溢れるとともに、粘着質とも言うべき濃厚な表情づけが特徴である。
ここぞという時のトゥッティにおける強靭な迫力にもいささかも不足はないが、そのような箇所においても独特の懐の深さが感じられるのが、バルビローリによるマーラー演奏の性格をより決定づけているとも言えるだろう。
本演奏でもかかるアプローチは健在であり、ゆったりとしたテンポによるこれほどまでの濃厚で心を込め抜いた演奏は、かのバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1988年)ですらすっきりとした見通しの良い演奏に感じさせるほどであり、聴き終えた後の充足感には曰く言い難いものがある。
なお、バルビローリは、近年ではマーラーの最終的な決定を尊重するという意味で主流になりつつあるが、当時としては珍しい、スケルツォ楽章(第2楽章)とアンダンテ楽章(第3楽章)を入れ替えるバージョンで、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤では演奏を行っていたが、本演奏では従来どおりの入れ替えないバージョンで演奏を行っているのは実に興味深いと言えるところだ。
また、バルビローリの濃厚で粘着質な指揮に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団も必死で喰らいつき、持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのも素晴らしい。
いずれにしても、本演奏は、バルビローリの同曲への深い愛着と思い入れを感じることが可能な入魂の名演と高く評価したい。
併録の「メタモルフォーゼン」も、いわゆるバルビローリ節が全開の名演であり、各フレーズを心を込めて情感豊かに感動的に歌い上げているのが素晴らしい。
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の弦楽合奏の卓越した技量も大いに賞賛したい。
音質は、1967年のEMIによるスタジオ録音であり、従来盤については今一つ冴えない音質であったが、ARTリマスタリングが行われたことによって、若干ではあるが音質改善が見られたように思われるところだ。
ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。
音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。
いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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