2014年07月12日
ケーゲルのベルク:ヴォツェック
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このケーゲル盤の演奏は、オーケストラの表出する熾烈なまでの音響的インパクトが素晴らしく、このオペラならではの破滅的なまでに強烈きわまる音楽の醍醐味を存分に満喫することのできる名演だ。
古典作品の構造引用を睨みながらも、表現主義的なエネルギーを強烈に引き出した凄い演奏であり、「ヴォツェック」の決定盤はこのCDなのではないだろうか?
どう聴いても声楽台詞付き器楽曲のように聴こえるこの歌劇の最も精力にあふれた演奏。
ケーゲル&ライプツィヒ放送響の奏でるオーケストラの響きは、尋常ではない緊迫感を感じさせるものがある。
ケーゲルは冷静時代の東独という目立たない所で活動していたので、ついぞ脚光を浴びることはなかったが、これから大いに再評価されて欲しいものだ。
アバドやバレンボイムを凌駕する圧倒的情報量、鋭すぎるフレージング。
ブーレーズはこの曲を見事に整理したが、ケーゲルはより複雑に、怪奇に、カオスに、まさに今そこにある危機的状態を感じさせるものがある。
この音と音の壮絶なせめぎ合いを破綻させないのだから、やはりこの指揮者の力量は凄い。
これまでに聴いたアバドやバレンボイムの演奏が中途半端で生ぬるい演奏に聴こえるほどホットで、聴いていて耳が火傷しそうなほど熱い最高の「ヴォツェック」である。
冷徹なブーレーズ盤の対極にある演奏と言えるところであり、鋭利な刃物のような切れ味で、耽美的なところもあって、マーラーのようなシニカルなところもありながら、ショスタコーヴィチのような光と影のコントラストを感じさせるところもある。
「パルジファル」全曲やヒンデミットの管弦楽曲も凄かったが、この「ヴォツェック」はこのオペラの心眼に斬り込んでゆくような更なる凄みがある。
ここでのライプツィヒ放送響の最盛期におけるアンサンブルは充実を極めていて、あたかも狂気と耽美とが紙一重で共存するような、ギリギリの領域で音楽が進展し、その強烈ぶりに聴いていて惹き込まれてしまう。
言うなればシナリオの絶望感を、演奏の狂気感が超えていて、完全にとり憑かれている、という感じであろうか。
歌手陣も秀逸で、ライヴ録音ならではの緊張感があり、貫禄充分なアダムの主役を筆頭に、テンション高い歌手陣の頑張りも実演ならでは。
「三大性格テノールコンサート」の1人に入れてもいい、ハウプトマン役のヒースターマンの歌唱は最初から強烈。
マリー役のシュレーターは、ベーレンスやマイヤーよりは弱いかもしれないが、街の片隅に生きる「小市民」のマリー、どこにでもいるような「あばずれ女」のマリーとしてはイメージとして適合している。
どのキャストもまさに迫真の演技で、聴いているうちに自己の精神までも分裂してしまうんではないか、という恐怖感に苛まれてしまう程の凄演だ。
1973年のライヴ録音であるが鑑賞上で何ら問題の無い高音質なのもうれしいところだ。
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