2014年07月20日
ケーゲル&ライプツィヒ放送響のブルックナー:交響曲第7番(1971年スタジオ録音)
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当盤は録音のために十分な日数が確保されていたようで、ここでは何と12日間に渡っており、実際に聴いても非常に丁寧な音楽づくりを心懸けているのが分かる。
特に第1楽章の主題が2度目に出てくるところの美しさには溜息が出てしまった。
マタチッチ&チェコ・フィル盤に匹敵する美しさであり、奏者の録音に対する意気込みは並大抵のものではなかったのであろう、どのパートも積極的に弾き、吹いているのが感じられるし、それでいて決して粗くならないのだから見事だ(やはり指揮者の統率力によるものか)。
当盤では5分30秒頃から加速が入ってしまい興醒めしかけるが、基本テンポからの逸脱は旧盤ほどは酷くないのでホッとする。
16分過ぎのしみじみした部分にも胸が熱くなるものがあり、やはり確固たる基本テンポがあってこそ、そういう表現が生きるのだ。
コーダは基本テンポよりやや遅く(ただし遅すぎない)始め、そのままインテンポで締め括る。
そのため、非常にスケールの大きな演奏となっていて、もはや旧盤とは別人のようである。
第2楽章は、旧盤同様にスロースタートであるが、重苦しくはなく、モノラルとステレオという違いを差し引いても、響きは確かに違う。
主題を弾く弦を柔らかい音で金管が持続音でサポートしている部分など、決して暗くならず、全体的に明るいので心が和むところであり、旧盤が厳冬期の軍隊の行進とするならば、当盤は春か秋の森の散策といえようか。
テンポの変化が抑え気味であるため、劇性ということでは当然ながら後退しているゆえに、クライマックスにシンバルを加えなかったのだろう。
だたし、テンポが粘っこいのと打楽器なしだと十分に解放されないので、ティンパニのみ残したのではないか。
このバランス感覚は見事で、最後のテンポもそれほど遅くしないのは、その必要がないからであり、これも理に適っている。
残り2楽章は、それまで非常に均整の取れた演奏をしてきたのだから、ドラマティックにやっては水の泡になるので、それを指揮者はちゃんと解っている。
あるいは旧盤をノヴァーク版的、新盤を(アダージョでティンパニが入るものの)ハース版的と言っても大間違いではないだろう。
筆者にはこの演奏が旧盤よりも格段に優れているように思われるが、といって枯れてもいない(1960〜70年代といえばケーゲルはまだ壮年期であり、老化現象でテンポが遅くなったりするはずはないのは当然である)。
これを指揮者の10年間の成長の結果と考えることも可能であろうが、それ以上に演奏スタイルをガラッと(第7番向きに)変えたことが当盤で成功を収めた最大の原因ではないかという気がする。
いずれにしても、この指揮者は同一の曲を再録音する際には、敢えて前回とは違うやり方を試みてやろうという気概を持っていたようだ。
もう1人のヘルベルト(フォン・カラヤン)のように。
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