2014年08月11日
バーンスタインのマーラー:交響曲第8-10番、大地の歌(新盤)
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バーンスタイン晩年の録音は、ほぼすべてがライヴ録音であるのだが、録音を意識していたせいか、限りなくスタジオ録音に近い、いわゆる自己抑制したおとなしめ(と言ってもバーンスタインとしてはという意味であるが)の演奏が多い。
ところが、第8番は、録音を意識していない正真正銘のライヴ録音であり、この猛烈な暴れ振りは、来日時でも披露したバーンスタインのコンサートでの圧倒的な燃焼度を彷彿とさせる。
これほどのハイテンションになった第8番は、他の演奏では例がなく、同じく劇的な演奏を行ったテンシュテットなども、遠く足元にも及ばないとさえ言える。
猛烈なアッチェレランドの連続や、金管楽器の思い切った最強奏、極端と言ってもいいようなテンポの激変など、考え得るすべての表現を駆使して、第8番をドラマティックに表現していく。
バーンスタインもあたかも火の玉のように燃えまくっており、あまりの凄さに、合唱団とオーケストラが微妙にずれる点があるところもあり、正真正銘のライヴのスリリングさも満喫することができる。
それでいて、楽曲全体の造型が崩壊することはいささかもなく、聴き終わった後の興奮と感動は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。
「大地の歌」と第10番から「アダージョ」は、2度目のビデオによる全集の中から抜粋したものとなっており、演奏内容は名演ではあるが、二番煎じの誹りを免れない。
ただ、第8番はザルツブルク音楽祭におけるライヴ録音であり、全く別テイクなので、本セットは、この第8番を聴くだけでも十分にお釣りがくるものと言える。
そして、第9番こそは、マーラーの交響曲の総決算であるだけに、その神髄である死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬がテーマと言えるが、これを、バーンスタイン以上に表現し得た指揮者は他にはいないのではないか。
第1楽章は、死への恐怖と闘いであるが、バーンスタインは、変幻自在のテンポ設定や思い切ったダイナミックレンジ、そして猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使しており、その表現は壮絶の極みとさえ言える。
これほど聴き手の肺腑を打つ演奏を他には知らない。
第3楽章の死神のブルレスケも凄まじいの一言であり、特に終結部の荒れ狂ったような猛烈なアッチェレランドは圧巻のド迫力だ。
終楽章は、生への妄執と憧憬であるが、バーンスタインの表現は濃厚さの極み。
誰よりもゆったりとした急がないテンポにより、これ以上は求め得ないような彫りの深い表現で、マーラーの最晩年の心眼を鋭く抉り出す。
そして、このようなバーンスタインの壮絶な超名演に潤いと深みを付加させているのが、コンセルトヘボウ・アムステルダムによるいぶし銀の音色による極上の名演奏と言えるだろう。
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