2014年08月16日
アバド&ベルリン・フィルのメンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」(抜粋)、交響曲第4番「イタリア」
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ベルリン・フィルは、名人揃いの世界最高峰のオーケストラだけに、芸術監督に就任する指揮者も、各奏者を掌握するための苦労は並大抵のものではない。
カラヤンも、就任当初はフルトヴェングラー時代の重鎮奏者に手を焼き、自分の理想の演奏を行えるようになったのは、芸術監督に就任して約10年後の1960年代に入ってからであると言われている。
それだけ、ベルリン・フィルという稀代のオーケストラを掌握するのに相当の時間がかかるということであるが、これは、現在の芸術監督のラトルにも言えることであり、ラトルがベルリン・フィルとともに名演奏の数々を行うようになったのも、2010年代に入ってからで、2002年の就任後、約10年の期間を要している。
ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督として長期政権が予測されることから、今後はベルリン・フィルとの間で理想の演奏を成し遂げていくことは想像するに難くない。
しかしながら、アバドがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていたのは1990年〜2002年のわずか12年間。
これでは、カラヤンのオーケストラを自らのオーケストラとして掌握するにはあまりにも時間がなさ過ぎたと言えるだろう。
ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。
そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。
カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。
そのようなアバドが、ベルリン・フィルを掌握して、いかにもアバドならではの名演を繰り広げるようになったのは、皮肉にも胃癌を克服した2000年代に入ってから。
まさに、ベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。
退任後に、ベルリン・フィルとともに時として行われる演奏の数々が見事な名演であることに鑑みれば、アバドももう少しベルリン・フィルの芸術監督にとどまるべきであったのではないかとも思われるが、このあたりも、いかにもポストに固執しないアバドらしいとも言える。
いずれにしても、歴代の芸術監督の中でも、必ずしもベルリン・フィルとの関係が順風満帆とはいかなかったアバドではあるが、それでも、いくつかの演奏では、さすがはアバドとも賞賛されるべき名演を成し遂げていた。
その名演の中でも代表格の一つと言えるのが、本盤に収められたメンデルスゾーンの交響曲第4番と劇音楽「真夏の世の夢」であると言えるだろう。
アバドは、メンデルスゾーンの交響曲第4番をロンドン交響楽団とともに1967年、1984年の2度にわたってスタジオ録音を行うとともに、劇音楽「真夏の夜の夢」序曲を1984年にスタジオ録音しており、それらはいずれも素晴らしい名演であったが、本盤に収められた演奏は、これらの過去の演奏を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。
1995年のジルヴェスター・コンサートでのライヴ録音でもあり、演奏全体の生命力あふれる燃焼度の違いもあるのかもしれないが、大人しい演奏に終始していた当時のアバドとしても突然変異的な超名演であり、これはアバドが、とりわけ交響曲第4番の表題でもあるイタリア人ということもあると思われるが、いかにメンデルスゾーンのこれらの楽曲に対して深い愛着と理解を示していたことの証左であるとも言える。
さすがに、トスカニーニの交響曲第4番の超名演(1954年)の域には達していないが、演奏全体に流れる歌謡性豊かな情感は、音質の良さも相俟って、トスカニーニの演奏よりも若干上位に掲げられても不思議ではないとも言えるだろう。
劇音楽「真夏の世の夢」も、オペラにおいて数々の名演を成し遂げてきたアバドならではの聴かせどころのツボを心得た名演であり、まさに、本盤の両曲の演奏は、アバドのベルリン・フィル時代を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
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