2022年12月05日
躍動的なリズム感🪘中庸のテンポ💠ドイツ風の重心の低い🌍古典的なスタイル🗝️真に芸術的🪨ベーム&ベルリン・フィル🤝モーツァルト:交響曲全集
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
我が国においては今もなお熱心なベームファンは存在しているが、本場ヨーロッパでは殆ど忘れられた存在であると聞いている。
生前はオーストリアの音楽総監督やウィーン・フィルの名誉指揮者の称号が与えられ、世代はかなり違うものの当時のスーパースターであったカラヤンのライバルとも目された大指揮者であったにしては、今日の知る人ぞ知る存在に甘んじている状況は極めて不当で残念と言わざるを得ない。
このように、ベームの存在がますます忘れられつつある中においても、おそらく今後とも未来永劫、その価値を失うことがないと思われるCDが存在する。
それこそはまさに、本盤に収められたベルリン・フィルとともにスタジオ録音(1959〜1968年)を行ったモーツァルトの交響曲全集であると考える。
ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でも本全集は金字塔と言っても過言ではない存在である。
近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも2度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。
同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。
本全集におけるベームのアプローチは、まさに質実剛健そのものであり、重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。
ベームの指揮は、1970年代後半に入ると、持ち味であるリズム感に硬直が見られ、テンポが極端に遅い重々しい演奏が増えてくるのであるが(最晩年にウィーン・フィルと録音したモーツァルトの後期交響曲集はこうした芸風が顕著にあらわれている)。
本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。
ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。
したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。
本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのである。
むしろ、軽佻浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。
いずれにしても、本全集は、モーツァルトの交響曲全集の最高の超名演であるとともに、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2022年12月06日 08:34
モーツァルトの交響曲全集となると実に評価が困難であるとともに,全曲は耳にしていないので,星の表示は差し控えさせていただきます。マリナー,テイト,マッケラスそしてホグウッドらも全集を録音していますが,堅固なリズム感に満たされた本全集が一押しでしょう。私としては曲に依ってやや出来不出来が有る様に感じますが,全集としてまず挙げられるべき力演であることは確かでしょう。ところでベームが本場ヨーロッパでは殆ど忘れられた存在になりつつあるとは本当ですか? 心が寒くなります。
2. Posted by 和田 2022年12月06日 08:55
ベームは法律家としての厳格さが裏目に出て、ミスをした楽団員の悪口を平気で口にしました。こうした典型的なカペル・マイスター(宮廷楽団長)型の指揮者は敬遠されがちですが、ベームはウィーン・フィルやベルリン・フィルなどの名門オーケストラの指揮台にたびたび登場し、レコードも売れました。それは、カラヤンに嫌われることなくカラヤンが起こした一大ムーブメントに同乗することができたからでしょう。カリスマのなさ、スター性のなさゆえに…。日本ではカラヤンに次いで人気の高かったベームですが、ヨーロッパではすでに忘れられた存在になりつつあるようです。1970年代まではモーツァルトのレコードといえばベーム&ウィーン・フィルが定番でしたが、1980年代に入って、アーノンクール、ブリュッヘン、ガーディナーといったオリジナル楽器系の指揮者による「歴史的事実をふまえた解釈」というモーツァルト録音が登場し始めると、ベームのモーツァルトは一気に《古臭い演奏》という評価を下されてしまいました。どうにもカラヤンという恒星があってこそのベームだったようです。カラヤンが亡くなり次なる恒星が宇宙に輝くとき、ベームという惑星は消え去るしかないようです。
3. Posted by 小島晶二 2022年12月06日 09:07
ベームのモーツァルト交響曲全集は力作では有るが,傑作とは言い難いのかも知れません。私はむしろシューベルト交響曲全集をより上位に評価しています。何れにしても,地味なベームは敵の多いかのカラヤンが心酔していた数少ない先輩マエストロ。古臭いと一言で片付けられたり,惑星扱いでは寂し過ぎます。
4. Posted by 和田 2022年12月06日 09:16
ベームの追悼演奏会の合唱にカラヤンの姿があったそうです。古臭いと評価しているのは本場の人たちです。ともかくシューベルトは実に風格のある演奏ですね。堂々としたスケールを持ちながら、細かい部分にまで心が行き届いていて、シューベルトの交響曲から交響的厚みと重量感とを豊かに引き出しています。シューベルトはベームがもっとも愛好した作曲家であり、それだけにシューベルトの様式を知りつくし、強い共感と作品に対する無類の誠実さに貫かれている、なんとも美しい名演ばかりです。ワルターとは対照的な表現で、シューベルトとしては、全体にがっしりとした骨組で、やや武骨な感じもしますが、整然たる美しさをもった演奏です。どの曲にも素朴な心情とあたたかい感情が流れており、「未完成」や第9番はもちろんのこと、第1番などの見事なほどに音楽的で純粋な表現にも魅了されます。あくまでも楽譜を忠実に再現し、正攻法で作品に挑んでいるところが、いかにもベームらしく、悠揚とした足取りと自然なアゴーギクによって、シューベルト独自の旋律がのびのびと息づき、造型は一分の隙もなく、内部に素朴な力を宿しています。シューベルトに不可欠なヒューマンなぬくもりが示されているのもよいのですが、それよりもベルリン・フィルがベームの手にかかると俄然ドイツ的な響きに変容するのが不思議です。名演揃いの全集から、ベームの芸術的特質のすべてが窺え、ここにはベームの芸術のすべてが含まれているといってもいいでしょう。