2014年08月30日

グールド・プレイズ・バッハ


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天才・鬼才・奇才…。

若くしてステージでの演奏活動に見切りを付け、スタジオ録音に異常なまでに執着した、異色のピアニスト「グレン・グールド」。

彼の才能が最も強く発揮されたのがバッハのピアノ曲であった。

グールドは音楽家としてのスタイルのみならず、音楽解釈においても異色であり、バッハの伝統的な音楽に対して新しい解釈を次々と打ち立てた。

スタジオ録音における全てのテイクは新しい解釈の実験であり、1つの前奏曲やフーガについて10を超えるテイクを録ったと言われている。

そしてあろうことか、複数のテイクを組み合わせ、つなぎ合わせることによって最終テイクを作り上げるという荒技をやってのけたのだ。

彼にとって、演奏は「完璧」な解釈を提供することこそが全てであり、その表現方法としてスタジオ録音を選んだのである。

こうして作成された彼の演奏は、それまでの伝統的な解釈を大きく揺るがす、全く新しいバッハの音楽であった。

グールドは、多様な音楽解釈の可能性とその必要性を、自らの創造的解釈の成功を通して我々に示したのである。

しかし、グールドの最大の誤算は、彼の奇抜ともいえるバッハの新解釈があまりにも一般の人々に受け入れられ過ぎたことであった。

「伝統とは起源の忘却だ」(フッサール)の言葉の通り、バッハの音楽の原点が時とともに忘れ去られようとしていた中、過去の解釈にとらわれない自らの新解釈を提示したグールドの演奏は、本来のバッハの音楽のあるべき姿を見事に浮き彫りにした。

そしてその演奏は、バッハ演奏の原点として位置づけられるようになったのである。

これ以降、バッハのピアノ曲はグールドの演奏を「絶対基準」として演奏・鑑賞・評論されることとなった。

特に「ゴルトベルク変奏曲」に関しては、グールド以外のピアニストによる全ての演奏は、グールドの演奏と比較されるためだけに存在しているといっても過言ではないだろう。

あらゆる演奏の行き着く先はグールドであり、あらゆる解釈はグールドの世界から逃れることができないのだ。

音楽解釈の多様性を追求し、その必要性を訴えてきたグールドは、自らの音楽が「絶対的」なものとなることによって、むしろ多様性を失わせる結果を生んでしまったのである。

もう一度バッハのピアノ曲に多様性を与えるためには、(現在のクラシック界にグールドを超えるピアニストがいるとはとても思えないが)、いずれまた現れるであろう新しい天才に音楽解釈多様性の可能性を託すよりほかないのであろう。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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