2014年10月22日
ショルティ&シカゴ響のマーラー:交響曲第7番「夜の歌」
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ショルティほど、実力の割に過小評価されている指揮者はいないのではないか。
カラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを行ったショルティであるが、現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。
これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、ショルティの演奏を全く聴かないのはあまりにも勿体ない。
特に、ショルティによるマーラーの交響曲の演奏は、いずれも一聴の価値のある名演揃いであり、今般、ルビジウム・クロック・カッティングによる高音質かつ廉価で、一連の録音が発売されることから、いまだ未聴のクラシック音楽ファンにも是非とも聴いていただきたいと考えている。
それはさておき、本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第7番が収められている。
中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第7番は、第6番と同様に本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。
それはさておき、演奏は凄まじい。
これは、同じく1970年に録音された第5番や第6番と共通していると言えるが、まさに強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。
ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。
こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤に収められた第7番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。
それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。
耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。
まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるインバル&フランクフルト放送交響楽団盤(1986年)又はインバル&チェコ・フィル盤(2011年)、そして、テンシュテット&ロンドン・フィル盤(1993年ライヴ盤)などにいささかも引けを取っていない。
あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。
加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。
いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。
かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
音質も英デッカによる1970年の録音当時としては総体として優秀なものである。
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