2014年09月09日

F=ディースカウ&ムーアのシューベルト:冬の旅(1955年ライヴ)


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



F=ディースカウが、自らの歌唱芸術の歩みを確かめる里程標として幾度となく<冬の旅>を採りあげ、また録音してきたことは周知の事実であろう。

かつて筆者が耳にしてきた9種の録音の中でも、名唱とされるのは、ステレオ初期のEMI盤、デムスとのグラモフォン盤、ムーアとの1970年代の録音(一般にはこれが決定盤とされる)、バレンボイムとの録音、と並ぶが、いずれもこの名歌手のそれぞれの時期の会心の歌唱が記録されているものとして評価が高い。

それが、つい先日購入した1955年プラド音楽祭でのライヴ盤を聴いて、この曲集からかつてなかったほどの深い感銘を受けたことをここに記しておきたい。

この名歌手がステレオ期に入ってから聴かせる洗練された完成度の高い表現とはだいぶ趣を異にする、ある種“生々しい”歌唱が当盤では聴けるのである。

第1曲「おやすみ」からすでに感じられることなのだが、この録音での歌唱は主情的というか、かなり詩の意味を劇的かつ直截に表現しているような感がある。

第7曲「川で」や第18曲「嵐の朝」、あるいは第22曲「勇気」といったあたりで聴かれるその雄弁な表現は、ほとんどオペラ的とさえ称していいようなレベルにまで達している。

これがステレオ期に入ってからは、より知的な客観性みたいなものがはっきりと出てきて、いかにもF=ディースカウらしい歌唱に変わってくるわけだが、その知的客観性なるものに筆者の場合はある種の“分別臭さ”みたいなものを感じてしまって純粋に感動できないのではないか、という気がするのである。

一方、第2曲「風見」や第8曲「かえりみ」のように、いくぶん肩に力が入りすぎているような印象を受けるものもあるし、若さの部分が逆に若気の至りに感じられてしまう曲もまたなきにしもあらずなのだが、筆者は当盤の歌唱を最も好む。

ここでは、まさに今赤い口を開いて疼いている“青春の生傷”が歌われていて、それが他の録音以上に深い感銘を筆者の胸に残すからである。

とある雑誌で「この歌手の<冬の旅>はステレオ時代からが聴きものだ」というような事を評論家たちが異口同音に述べているのを読んだことがあるが、筆者の意見はむしろ逆である。

確かに、上述のように表現の未熟さ等を指摘できる箇所がないわけではない。

しかしこれほどに熱いものが強く胸に残る<冬の旅>を、少なくとも筆者は他で経験した記憶がないのである。

フルトヴェングラー&フィルハーモニア管とのマーラーの<さすらう若者の歌>と同様に、この大歌手は若くしてすでに余人の及ばぬ世界を創造し始めていたということなのだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)シューベルト | F=ディースカウ 

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ